森嶋猛を見よう

たまにはプロレス最前線の話を。NOAHの森嶋猛が凄いですよというお話である。

そもそも森嶋といえばただデカいだけの粗大ゴミのような若手であったのが、去年あたりからめきめき頭角を現してきて今年ついに大化けしてしまった。今のノアとは何かと問われたならば、森嶋であると言いきっていい。斯様な「化け」があるからプロレス者をやめられないのであって、プロレス者ならば今の森嶋を観られるという至福と愉悦を神に感謝すべきであろう。

図体のデカいデブであった森嶋はそれゆえに醜く、もうちょい絞ればもっとマシなレスラーになるのに、と誰もが考えたことだろう。しかし森嶋は逆に増量し、髪を伸ばし、より「暑苦しくなる」ことによって絶大なインパクトを手に入れたのである。イヤなレスラーが、さらにイヤ方向に針を振りきる事によって突然ブレイクすることがある。判りやすい例を挙げるなら、かつての冬木弘道がその典型だ。

シャバの世界では、突出した個性は非とされる。太りすぎ、痩せすぎ、鼻デカすぎ、そのような個性は修正すべきと言われる。だがプロレスの世界は違う。個性のないレスラーに価値など一切ない。プロは過剰であることが求められる。猪木のアゴを例に出すまでもなく、欠点を逆に長所とする既成概念の逆転はプロレスの大きな快楽のひとつだ。

今の森嶋は見てくれから試合内容まで何もかもが過剰の極みで、オレはその方向性を強く支持するものだ。オレの友人は森嶋を「Too Sexy」と評した。確かに深夜のノア中継で森嶋の大暴れを見ていると、これ地上波で放送して大丈夫なのかという不安に駆られることがある。「Too Sexy」の「Too」こそが森嶋の真価なのであって、逆に言えば最近「Too」のないレスラーが多いんだよな。

森嶋の顔はお世辞にも美男子とは言いがたい。早い話がキモイ。暑苦しい長髪と能面のような顔からオレが連想するのは黒澤明の「續姿三四郎」で河野秋武が演じた檜垣源三郎、または「乱」野村萬斎が演じた鶴丸である。檜垣源三郎は血に餓えた精神異常の武道家で、鶴丸は膨大な怨念を内に秘めた盲目の少年だ。どちらも、およそ平凡な人間ではない。躍動する巨大な肉塊と静謐な能の狂気を宿した森嶋の顔、このギャップと矛盾の文学的インパクトにオレは参ってしまったのだ。とにかく、プロレス者ならば今の森嶋を見ない手はないですよと断言しておきたい。永田さんを除くならば、今最も自信を持って推奨できるプロレスラーである。