「七人の侍」(4Kデジタル上映)

非人道的な環境の職場で働く毎日の中、珍しく休みがとれたので立川に黒澤明の「七人の侍」を観に行った。しばらく前から「午前十時の映画祭」で4Kデジタル上映をやっており、観た人々の反応をtwitterなどで目にしてはいた。何しろキレイでびっくりする、音もいい、三船敏郎のセリフが聞きとれる、左卜全のセリフはやっぱり聞きとれない、などといった人々の感想はおおむね正しく、オレも今回の「七人の侍」の映像の美しさとクリアな音響には圧倒された。


オレが10代の大半を過ごした1980年代、「七人の侍」はテレビでもやらず*1ビデオも出ておらず、しかし映画オールタイムベストでは決まって1位、という伝説的な「幻の映画」だった。東宝の黒澤作品で当時レンタルビデオで観られたのは「生きる」「用心棒」「椿三十郎」くらいで、なんだか「七人の侍」のソフト化を渋っているように見えた。映画史においてこういう映画は幾つかあって、すぐに思いつくのはなかなかソフト化しなかった「E.T.」と「黒部の太陽」の2本だ。スピルバーグ石原裕次郎が「映画館の大スクリーンで観てほしいからソフト化はダメ!絶対」などとメルヘンな寝言を口走ったせいで、映画の存在そのものが大衆の記憶から一時消え失せてしまった。つまり忘れられたのである。元も子もないとはこのことだ。


はじめて「七人の侍」を観たのは故郷香川県に住んでいた高校生の頃、高松市美術館の会議室のような部屋で、1日のみ1回限りの16ミリフィルムの特別上映であった。160分程度の短縮版で、音声がひどくてセリフの半分くらいは聞き取れなかったのだが、打ちのめされるようなショックを受け、呆然として帰宅したのを憶えている。数ヶ月後、高松駅近くのビデオ屋で英語字幕つきの海外版VHS2本組(ノーカット207分版)を発見し、驚愕して体がブルブル震えた。即座にレンタルし、これは家でダビングして何度も繰り返して観た。同じビデオ屋で、同様に国内ではソフト化されていなかった「KUMONOSU-JO」や「THE HIDDEN FORTRESS」なども海外版を借り、ダビングしたものだった。海外版ソフトを勝手にレンタル品にして貸し出す行為はたぶんアウトで、勝手にダビングするのもあんまりよろしくないのだが、当時のオレには他に観る方法がなく、今でもあのビデオ屋には感謝している。


上京した後の1991年、「七人の侍」のリバイバルが行われて劇場で観た。当時の東宝がなぜか「最後のリバイバル!」などと嘘八百を並べ立てたせいか、結構な客入りだったような記憶がある。その後「七人の侍」はLDになり、DVDになり、今に至る。


今回の4K上映は映像も音響も素晴らしかったのだが(髪の毛1本までクッキリ見える!)、新たに気づいた「七人の侍」の凄みもあった。いや本当はすでに気づいていたし感じていたことなのだけど、これまではきちんと意識して言語化できなかったのだ。それは、複数のモチーフを同一画面、ワンカット内に収めることが生むスペクタクル、スケール感、迫真性についてである。


侍たちがはじめて村に到着する場面。山の急斜面から、眼下に広がる寒村を見下ろす。カメラ前の侍たちと村の遠景を同時に収めるショットがまず凄い。はるか眼下の寒村に落っこちそうな感覚に襲われる。出崎統のムチャなコンテみたいな高低デフォルメ演出であり、これをはるか昔に実写でやっているのが凄い*2。ちなみに以下の画像は4K版ではない。4Kはもっとキレイです。


 
(右は出崎統監督の「劇場版 エースをねらえ!」より、ムチャでカッコいいレイアウト)


さらに、大声で到着を告げる百姓〜眼下の村へのパンにおいては、村の広場の中で米粒のように小さな百姓たちがあちこちに走っている姿が見えるのだ! つまりカメラは山の上から、侍の到着を知った百姓たちが大慌てで家に駆けこみ隠れる様を捉えているのである。これはそのまま、ゴーストタウンの如き村の中に入った侍たちが当惑する次の場面に繋がる。


 
(左画像から、右画像への斜め下PAN。小さく村人が見える)


さて、山と村、遠く離れた2つの芝居場が同時に存在する斯様な場面、両方の現場に演出がついてトランシーバーや携帯電話でやり取りしてタイミングを合わせ、よーいスタート、カット! オーケイなどとやるわけであるが、「七人の侍」の公開は1954年で撮影は当然それ以前だ。携帯電話は勿論、シーバーもない時代だろう。現場を仕切る演出チームは一体、どうやって連絡をとりあったのだろうか? 狼煙だろうか、手旗信号だろうか? テレパシーかもしれない。


「複数のモチーフを同一画面、ワンカットに収める」ことで、映像にはたいへんな説得力が生まれる。観客ことオレは、目の前で現実そのものを見せられているような、まるでその場に立ち会っているような感覚に襲われる。「七人の侍」の中でこれが最もうまくいってる場面は、野武士の集団が村に押しかけてくる場面だと思った。


一般的には菊千代の「ヤロー来やがった来やがった」が名場面として語り継がれているが、オレに言わせりゃその直後の一連の場面だって凄まじい。北の山から現れた野武士の一団は、以前にはなかった柵の存在に驚き、西側に回りつつ村の周囲を調べてゆく。その動きに合わせ、村の中では七郎次率いる百姓の一団が走りまくり、西の柵の内側から野武士を視認できる位置へと陣取っていく。この「野武士=村の外の動き」と「百姓=村の中の動き」、それぞれ異なる運動を行う2つの集団を、村の中にあるカメラから同時に捉えたショットの力強いこと! 目の前で刻一刻状況が変化し、これから抜き差しならぬ殺し合いが始まるのだという緊張感は高まる一方である。



(実際には、走り込む百姓たち〜奥から迫りくる野武士〜再び百姓たち、というPANUPしてからPANDOWNするショット)


普通なら、2つの集団を個別に撮影するところだ。別日に撮影したっていい。編集でまとめればよい。それが効率的なやり方だ。しかし、あたかもその場で成り行きを目撃しているかのような臨場感は、ワンカットの中に両集団を捉えなくては生じない類のものだ。


勝四郎は伝令として走りまくり、管制室である勘兵衛に状況を伝える。村の南には川が流れており、菊千代の持ち場になっている。ここで菊千代はその身を敵前に晒して野武士を挑発し、種子島を撃たれて逃げ戻るなど、笑わせてくれる。しかしここで、野武士は腹いせに川向うの離れ家に火を放つ。これは勘兵衛が村の防衛線を設定する上で、どうしてもやむなく見捨てざるをえなかった離れ家の三軒だ。激しく動揺する百姓たち。


「馬上の野武士の頭領と、その背後で燃え盛る家屋」を同時に捉えたショット。かなり慌てて撮ったらしく構図は安定しておらず、まるでベトナム戦争の16ミリ報道カメラみたいだ*3



勘兵衛たちも村の南に駆けつける。「菊千代や勘兵衛らが大きな柵の手前にいて、その奥、はるか遠くでは三軒の家が燃え盛っている」状況をひとつの画面内に収めたショット。ちばてつやのマンガなら見開き2ページで表現されるようなスペクタクル、壮観なる眺めだ。



作り込まれたオープンセット、手を抜いてるやつが1人もいない演者集団の熱演*4、画面の手前と奥で別の事象が起こっている同時性、「火事」というコントロールできない事象、今ここで撮り逃したら二度と再び撮影することは叶わぬ一回性の映像。これほどの迫真性を劇映画が獲得したことは「七人の侍」以前にはおそらくなかったと思われ、現代の映画においてさえこんなにも真に迫り、かつ面白く構図が判りやすい場面はそうそう見かけない。


ま、「この場面がコレコレだから凄い」なんてことを言い出したらキリがないのが「七人の侍」という映画なのでこのへんでやめますが、東宝にはとっとと4K版をブルーレイで出していただきたいものである。しかしなー、東宝はソフト事業に関しては悪名高いから、どうせ散々待たせた挙句に特典少なめのうえ法外な高価格のBDを平気な顔してリリースしそうなんだよなあ。「シン・ゴジラ」や「君の名は。」で儲かったんだから、もはや国宝と呼んでもいいレベルの映画「七人の侍」くらいは最高の状態で、なるべく安く、なるべく早く出していただきたいものである。

*1:調べてみたら実はたまにやっていたらしいのだが、地方在住のオレは観られなかった

*2:言うまでもないが「七人の侍」は出崎統登場以前の映画である

*3:言うまでもないが「七人の侍」はベトナム戦争以前の映画である

*4:登場人物すべての全力疾走には感動すら覚える