「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」


あんまりテンション上がらなかった「最後のジェダイ」だが、年末に観てみたら存外楽しい映画だった。ただそれで済む訳もなく、以下のような感慨を抱いた次第。ハッキリ言って創造的才能と高潔な志を持つ映画監督は「スター・ウォーズ」に関わってはいけないし、関わっている場合ではない。つまり仕事師J・J・エイブラムスというのは絶妙のはまり役だったのだ。今回のライアン・ジョンソン氏はどうだったんだろうな。

楽しい映画ながらどんくさい部分も多く、眼高手低の誹りは免れまい。好きな場面も少なからずあるんだけどな。(★3)
結局、現代の「スター・ウォーズ」が輝ける特別な映画シリーズなのか、007より頻繁に公開される寅さん的なアレなのかという話なのだろう。ディズニーに買われた時点で後者だったんだけど、前作『フォースの覚醒』がいい按配で旧作らしさを擬装したおっさんキラーだったため、我々はそこに気づかぬフリをして自分を誤魔化してきたのだ。

新シリーズにあってカイロ・レン君は最も時代を背負ったキャラクターで、彼を生むためにこのシリーズはあったとオレも思う。しかし彼のnWoがビジョンのない空手形に過ぎぬため、彼と向かい合うレイちゃんもいきおい空虚化してしまう。もっともスター・ウォーズに中身を伴ったイデオロギー闘争などあった試しがなく、ダースベイダーは黒いから悪い! ダースモールは隈取りしてるから怖い! みたいなキャラクターショーをひたすら繰り返してきたのである。しかるに今作が本気で革命たらんとするならば、イデオロギーの衝突も富野化せねばならぬ。カイロ・レン君はダカールで演説すべきだった。ガンダム宇宙の破壊と創造の歴史、その地獄と可能性を知る我々からすると、かつて憧れたスター・ウォーズが何十年も足踏みを続けて今年ようやく民主化したからって、へーなるほどそうですか、ぐらいの感じになってしまうのは仕方がない。

「隔年でスター・ウォーズの新作が観られる」という恩恵は、「スター・ウォーズがありふれた、平凡なシリーズ映画に落ちぶれる」不幸と引き換えなのだ。我々おっさんは遅まきながらそれを受け入れなくてはならない。新スター・ウォーズが、新しい世代の子どもたちにとっても「よきもの」となれば嬉しく思う。