昨夜のK-1GP開幕戦、Vのこと

そろそろ煽りVのことを書いておこう。
最近、PRIDEの煽りVが非常に評判がいい。オレも8月のGP決勝を観て、PRIDEの煽りVのハイレベルっぷりにビビッてたじろいだファンの1人である。「FIGHT FOR WHAT」、あなたは何のために闘うのか? という切り口のオープニングVが特に素晴らしく、あれは今年オレが観たあらゆるVの中で最高の1本だった。
あのVは明らかにすぐれた作家が書き、すぐれたDがつないだものである。いや現実にはもしかしたら作家は入っていないのかもしれないが、その場合はDが作家の仕事もしているのだ。
一方、かつて一世を風靡したK-1の煽りVはどうか。この選手はパンチが強い。この選手は体が丈夫。この選手は元ボクシング。この選手は元横綱。決まりきったフォーマットで流れ作業のように紹介していく。いや、確かに以前はそれでもよかったのだ。カッコいいと思えたのだ。そもそもは、ああいう手をかけた編集で短い尺の選手紹介を見せるということを日本で初めてやったのがK-1中継だった。それがK-1を豪華な世界に見せ、ゴージャスなブランドにした。しかしねえ、今のPRIDEのVを観てしまったら、K-1のVなんてもうアホらしくて観ちゃいられねえんですよ。はっきり言って、煽りにさえなっていない。それほどのレベルの差があるよ。
K-1のVに明らかに欠けているのは語り部たる作家的視点、この試合を「物語」に仕立てあげようとする明確な意志だ。K-1のVは現象を「面白い現象」に格上げするものではあっても、現象を「物語」に昇華するものではない。繰り返すが、以前はそれでもよかったのである。K-1中継は大半のプロレス中継と比べれば圧倒的によくできていたし、Vで作らなくても勝手に物語やってくれてるアンディ・フグのような選手もいた。しかし、現在ファンはPRIDEという新たな商売敵と比較しながら観ているのである。いつまでK-1バブル期のVの作り方をやってるんだという話である。