「白日青春 生きてこそ」 すばらしいアンソニー・ウォン

アンソニー・ウォンの新作「白日青春 生きてこそ」を松山で観てきた。東京では1月公開の映画なのに、四国民は3ヶ月も待たされる。いつもの許しがたい地方格差である。

アンソニー・ウォン 黄秋生

アンソニー・ウォンは好きな役者だ。好きになったきっかけは「八仙飯店之人肉饅頭」(1993)だった。以降もハーマン・ヤウ監督と組んだ人間探求シリーズ(と勝手に呼んでる)、「タクシーハンター」(1993)、「エボラ・シンドローム 悪魔の殺人ウイルス」(1996)など傑作が多い。とかなんとか言いつつヒットした「インファナル・アフェア」三部作は観てなかったりする。

なぜオレはアンソニー・ウォンをこんなに好きなのかを考えながら観ていた。 (★4)


だって普通に見たら、コワモテのおっさんなのにまつ毛長くて目がキラキラしてて気持ち悪いじゃないですか。


演技者として非常にすぐれているのは確かなんだけど、芝居のうまさは我々の目に見える表面部分にすぎず、しかしアンソニー・ウォンって明らかにそれだけじゃない、何かただならぬ雰囲気を持ってるでしょう。今こういう場面だからこういう芝居を完璧にうまくやってるんだけど、それとは別になにか膨大な背景のようなものを常に感じ続けることになる。アンソニー・ウォンの凄さってたぶんこれなのだ。


以前オレは「ラ・ラ・ランド」のコメントで、エマ・ストーンとシルヴェスター・スタローンの顔面情報の比較から「奥のない役者」と「奥のある役者」について書いたことがある。
pencroft.hatenablog.com
役の感情を顔面の表情で表現しきれてしまう役者には奥がない。ある水準を超えたすぐれた映画においては、我々観客は役者の顔面の向こう側に踏み込んでそこにいる人間と出会う必要があるのだ。ララランドのエマ・ストーンは表情を作って見せるのは(アニメのキャラクターのように)うまいが、それゆえに人物の奥ゆきというものを失っている。サービス過剰がいいとは限らない。


なんでもない場面でアンソニー・ウォンがふと見せる、なに考えてるかわからぬ仏頂面。彼はいつも佇まいのどこかに幾ばくかの「不可解さ」をたたえており、これはどういう人間なんだろう、わかりたい、でもすべてはわかるまいと思わせてくれる。最高の役者だと思います。

「白日青春 生きてこそ」は、いい映画だったので皆さん観るといい。

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