「ランボー 最後の戦場」

ようやくCinemaScapeに「ランボー 最後の戦場」の感想を書いたので、こちらにも転載しておく。

「John Rambo」が人の胸をゆする (★5) 
まず、思想的なところを少しだけ。戦争はよくないとか正しい戦争もあるとか、そのへんのことはランボー兄貴は昔散々やってきた。政治的な主張も、声高に言ったり言わなかったりしてきた。この映画では、ランボーはいいかげんそんな問答にウンザリしてヘビとって平和に暮らしてるオッサンとして登場する。ズバリ言って、この映画から俗っぽい政治思想を見つけようという姿勢からして間違っている。もっと根源的な話ですよ。スタローンは近年珍しいほど良心的な映画人だから、ご親切にも極めて単純なシチュエーションでそれをはっきり示してくれる。何の因縁もない海賊と接触する場面がそれだ。ここにおいては、殺す/殺さないの二者択一やってる場合でさえない。殺すことなんか、結論でもなんでもない。殺さなければ殺されるこんな状況では、殺すことは前提でしかない。

あのー、ガンジーさんとかそりゃ偉いかもしれんけど、ここでは通用しないからね。あんな状況でオレやあんたがいくらガンジーの真似したって、殺されてゴミになるだけだ。我々が生きているのはそんな世界であって、この映画が描こうとしているのはその先の話だ。だから帰路のランボーは、殺した海賊のボートを抜かりなく始末する。立派だ。

さて、確かランボーの台詞はスクールボーイへの指示「一発撃て」が最後だった。それ以降、怒涛のクライマックスからエンドロールに至るまで、ランボーはとうとう一言も喋らない。だが激しい戦闘の後、死屍累々の戦場を丘の上から見下ろすランボーのなんともしれん表情は、どんな名台詞よりも力強く観客の脳裏に刻み込まれる。

この場面のカット割りが凄まじい。戦場の死屍累々・生き残ったボランティアたち・丘に立つランボー・死屍累々・ボランティア・ランボー・死屍累々・ボランティア・ランボー・ボランティア・死屍累々・ランボーといった具合に延々と反復してみせる。はっきり言って、ちょっと気の利いた映画監督ならば斯様なカット割りは避けるものだ。何故なら、アホっぽいと思われるからだ。

普通、いっぱしの映画監督なら誰だってアホとは思われたくない。頭がいいと褒められたい。ただ、ここは重要なのでどうかご理解いただきたいところなのだが、そういうのは監督の私欲であって、映画の良し悪しとはまったく関係がない。ビタ一文関係がない。芸術や表現に私欲は無用だ。

スタローンはアホと思われることを全然怖れない、稀有な映画監督だ。彼は映画の求める必然にただ沿って、確信をもって戦場をこのように描いた。この場面の凄さをなんとか説明したいのだが、オレにはうまい言葉が見つからない。それも当然のような気がする。本物の映画だけがもたらす特別な体験は、言葉で説明できるようなものではないからだ。この映画で起こっている事象、それ自体は単純なものだ。しかしこの映画を観る我々の心象は単純どころか極めて複雑で、実に様々な感情と思索が去来する。スタローンはそれも重々判っていて、観客が万感を呑みこむための尺をここでとってくれたのだ。言葉でもなく、台詞でもなく、映画だけが表現しうる「何か」をスタローンは信じていて、それを我々が腹の底でしっかり受けとめることまでも信じきってこの映画を作ったのだ。

スタローンを見習って、オレもアホと思われることを怖れずに書こう。正直言って2008年現在、これほどできる現役の映画監督をオレは他に知らない。シルベスター・スタローンこそ今現在、世界で最重要の映画監督だと思う。心からそう思う。異論は認める。

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