最近話題の橋下徹大阪府知事の評判を見て思ったことを、だらだらととりとめもなく。
テレビ番組の出演者は、その場・その瞬間に適した言葉を即座に発する能力が求められる。これは日常的な会話のうまさとはまた少し違う、非常に特殊な能力である。幽波紋(スタンド)能力のようなものだ。論理的に練られた思考は特に必要なく、一言で場の空気を支配する、瞬発力のようなものが求められる。
テレビにおける「いいコメント」とは、倫理的な正しさや視聴者の共感を必ずしも必要としない。耳ざわりよく判りやすい、刺激的で注意を引くコメントがいい。そして、テレビでは全局面においてスピードが要求される。いいコメントでも、言うべき瞬間から3秒遅れたらそれはもういいコメントではない。
テレビにおいて有能と認められ出演し続けるには、このスタンド能力が必須なのだ。こういった能力を持つスタンド使いは、この国では「タレント」と呼ばれる。バラエティー番組なんかスタンド使いだらけである。全員がスタンド使いでなくてもいいが、全員が素人ではテレビは成立しない。
名前を出して申し訳ないが、たとえばMEGUMIという女性タレントがいるでしょう。ハッキリ言ってMEGUMI以上にきれいなグラビアアイドルなんか、今も昔も掃いて捨てるほどいた。しかしテレビにおいてなぜ彼女が重宝されてきたかと言えば、これは彼女のスタンド能力とその個性がすぐれていたからなのだ。ぼんやりテレビを見ている方々は「そんなことはない、あれぐらい喋れるキレイどころは他にもいるだろう」と思うかもしれないが、まあそんなちょっと喋れるキレイどころをゴールデンに出してみても、使えるコメントなんかほぼ発しないことが多い。素人では流れについてこれないほど、テレビとは異形の場だ。「宇宙刑事ギャバン」でいうところの「魔空空間」なのである。
テレビ出演を避ける映画俳優は少なくない。これは何もテレビを見下しているからだけではなくて、テレビが自分の能力を生かせる場ではないと知っているからだろう。たとえば高倉健はとてもいい役者だろうけど、テレビにおけるスタンド能力を明らかに持ちあわせていない。高倉健がテレビに出たところで、気のきいたこともろくに言えずに口ごもり、あとは嘲笑の対象になるだけだ。怖ろしいことに高倉健が映画でどれほどいい役者であろうと、テレビの場においてはこれ嘲笑の対象になってしまうのである。テレビは人の歴史や背景など気にしない。テレビには「今」しか存在しないからだ。
こういった世界で高い評価を得て人気者になった人が、ある日突然政治家になったり知事になったりする。アニメ声優をやったり映画監督になったりする。或いは本を書いたりする。まれに成功する人もいるが、多くの場合はうまくいかない。仕方のないことだと思う。テレビにおいて評価されるスタンド能力は、他ジャンルではまずほとんど評価されないからだ。他ジャンルには他ジャンル独自の評価基準がある。
橋下氏は、知事になって以後もタレントとして満点に近い言葉を発し続けている。マスコミは彼の発言に飛びつき、大衆は褒めたり怒ったりといいリアクションをとる。彼はタレントとして目立つすべを心得ている。しかしそれは、知事としての能力の有無とは関係がない。
オレは政治にも行政にも疎いので、いったい橋下知事が有能なのか無能なのかは判らない。たぶん同程度のスタンド能力を持つMEGUMIよりは知事に向いてるんだろうと思うが、それくらいのことしか判らない。だから橋下氏のことを、いい知事ともダメな知事とも判断できない。ただ彼の「記事になるコメント」を発する能力と、知事としての能力の間には「関係がない」ということだけは判る。
府知事に関する報道記事やネット上の毀誉褒貶を見ていると、オレなんぞよりもずっと頭がよくて政治や行政に詳しい筈の人々が、ここんところを混同しているような気がしてどうも不安になる。