ミスター珍と、力道山

1994年刊

ミスター珍が亡くなる前年に刊行された著書、「万病息災 糖尿地獄からの生還」を読む。こんな本が出ていたことは全然話題にならなかったし、こんな本を読んだのは流智美と吉田豪とGスピ編集部ぐらいなんじゃないかと思う。タイトル通りミスター珍の長年にわたる闘病の記録であり、しかし日本プロレスや国際プロレスの貴重な記録、歴史の証言でもある。正直言ってこの本はメチャクチャ面白かった。君たちも探して読みたまえ。

ミスター珍については、一度ここに書いたことがある。
pencroft.hatenablog.com

今回はこの本から、珍さんと力道山の出会いについて紹介したい。これでさえ、この本の面白さの100分の1にすぎないのであるが。

リキさんは、プロレスラーにショー的な要素だけではなく、本物の強さを要求する人でした。それが形になって現れたのが昭和31年に東京・人形町の日本プロレスセンター、通称”力道山道場”の地下道場で開かれた『全日本プロレスリング体重別選手権』でした。


これはマスコミを一切シャットアウトして行われた完全なセメントマッチ(潰し合いの真剣勝負)でした。言ってみれば”地下プロレス”です。


なにしろ若手選手を中心に、誰が一番強いかを、自分たちでハッキリさせよう、というのです。強さにこだわるリキさんらしい試みでした。


出場選手はヘビー、ジュニア・ヘビー、ライト・ヘビーの三階級に分けられ、試合のレフェリーはすべてリキさんが務めました。

当時24歳の珍さんは山口利夫の「山口道場」所属で、中国人ヒールキャラ「陳大元(ちんたいげん)」を名乗っていた(メチャクチャ嘘じゃねーか)。先輩の吉村道明や長沢秀幸らと参加した。参加団体は力道山率いる「日本プロレス協会」をはじめ、木村政彦が九州に作った「国際プロレス協会」、柔道家・戸田武夫の「新日本プロレス協会」、清美川の「アジアプロレス協会」、在日朝鮮・在日韓国人柔道家らの「金剛山道場」、「東亜プロレス協会」などの若手選手が集結した。

力道山がひと声かければ日本中の他団体から若手プロレスラーが集まるのである。昭和31年=1956年といえば「昭和の巌流島」力道山vs木村政彦が行われた1954年から2年後。1955年に力道山は直接対決で山口利夫を破っている。名実ともにプロレスの顔となった力道山はプロレス界を統一しつつあり、有象無象の他団体は消滅してゆく運命だった。ちなみに馬場と猪木の入門は1960年。

この「ウェイト別日本選手権」について解説した記事がネットにあったので、読んでいただきたい。
miruhon.net

さて珍さんと対戦したのは朝鮮出身の白頭山(はくとうさん)。この本ではアジアプロレス協会と書いてあるがたぶん珍さんの勘違いで、東亜プロレスの所属だったらしい。

若き珍さんは腕っぷしの強さにも自信があったというが、白頭山と組み合っただけでその異常な怪力に驚かされ、「これはとても勝てない」と覚悟したという。そこで珍さん、セメントマッチにもかかわらずなぜか「悪役・陳大元として存在をアピールしなくては」と考え、白頭山の急所を反則のキン蹴り。白頭山は一瞬、信じられないという目を珍さんに向けたという。とはいえセメントではやはり勝機もなく、珍さんは13分足らずで白頭山にフォール負け。

この試合をリキさんは腕組みをしたまま、ジッと睨んでいました。終わったあと私はリキさんのところへ行き、


「ありがとうございました」


と一礼しました。反則をしたことでリキさんに怒鳴られるのではないかと、内心はドキドキしていましたが、顔を上げるとリキさんは笑っていました。(略)


「面白いものを見せてもらったよ。力で相手に負けると思ったら、何をやればいいかを考えることは大事なことだ。反則もいい、負けっぷりもいい、堂々とキン蹴りをするなんていい度胸をしているじゃないか。俺は気に入ったぜ」(略)


「お前、俺が面倒見てやるからいつでも東京に来い!」

吉村道明とともに力道山に誘われた珍さんは、山口道場の解散後に日本プロレスへ移籍する。「ミスター珍」というリングネームは力道山にいただいたものだそうだ。

それにしても、力道山という男は凄すぎる。木村政彦や山口利夫を負かし、この時期まさに「プロレスを独占」しようとしていたわけだ。この「ウェイト別日本選手権」が、潰れる運命にある様々な他団体から有望な若手をスカウトして日本プロレスに取り込むための企画なのは間違いないと思う。その基準はまず「強さ」であったが、たとえ強くなくても珍さんのような度胸とプロ根性のあるレスラーは認めて拾いあげる。力道山、プロレスを知りすぎた男! これがたとえば木村政彦だったら、珍さんなんか絶対に雇わない。強いだけでつまらないレスラーばかりを集めて、団体を潰していただろう。

いざとなれば鬼の木村を裏切ってでもシュートで潰す力道山と、セメントでキン蹴りという狼藉をはたらく珍さんにショーマンとしての可能性を見出した力道山。これが同一人物なのだ。なんという奥行きのある人間なのか。やはり日本プロレスは神話の世界であって、力道山は神さまなのであった。