邦題イマイチだが傑作 「理想郷」

ヤーねえ田舎ってウンコくさくって…

先日、松山に足を伸ばして観てきたスペイン映画「理想郷」。高松でもあと2週間待てば上映するんだけど、どうにも待ってられなかった。そしてオレの勘は当たった。たいへんな傑作だったのでご紹介。以下感想、ネタバレ満載なので未見の諸兄は読むなよ絶対に読むなよ!

「田舎は地獄」、その向こう側へ (★4)


「飲み屋で我が物顔の田舎者が独演会」という最悪の幕開け。しかしそうそう、こういうのを観に来たのだ。今作は「田舎は地獄」もの(オレが勝手に名づけた映画のジャンル)として非常にすぐれている。不穏で、スリリングで、詰将棋のように我々を追い込んでくる。


ところが途中から様相が変わるんですね。「田舎は地獄」テーマは映画の半分であっさり終わる。後半は妻の話だ。ん、なんだなんだと思って観ていると、前半より遥かに奥深い話に踏み込んでゆくので驚かされる。後半のテーマは、「強い」ということはいったい何なのか? である。


「強い」とは何か? これは週刊少年マガジンにおいて「はじめの一歩」が30年以上かかってまだ答えに辿りついてない厄介なテーマだ。しかしこの映画は2時間ちょいで辿りついてしまうのでわたくし驚いちゃった。「はじめの一歩」もなんとかしていただきたいものである。


冒頭から反知性田舎者パワーで圧倒するバカ兄弟。人生を呪ってるくせにバカなので地元を離れられない。よそ者(よそ者なんて言葉を口に出すのは例外なくバカ)への嫌がらせをエンジョイ。猟銃ぶら下げて待ち伏せ。陰湿な農作業妨害。マッチョを気取ってるのに、やってることは貯水タンクにコッソリ毒を入れる、デッキチェアに小便かけるという小学生のいじめっ子ばりの卑怯者ムーブ。目先の金がほしいのだが、その金で何するって街に出てタクシー乗り回すとかアホの中のアホにしか思いつかない答えで呆然とさせられる。


連中と対立するアントワーヌは元教員で意識高いインテリ。この男もちょっと人を小馬鹿にしたところがあって困ったもんではあるのだが、腹に据えかねた挙げ句にバカ兄弟とそれでも対話しようとするのは立派だ。ちなみに飲み屋での対話は長回しのワンカットで異常な緊張感がある。しかし君たち飲み屋しか集まるとこないんか。これだから田舎はイヤなんだぜ。


バカ兄弟がアントワーヌを殺害する場面は、映画冒頭の野生馬を素手で抑え込む場面の反復だ。それにしてもこいつら、馬にも人にも手際が悪いなあ。レスリングや柔道・相撲をまったく知らないド素人2人がチームワークも何もなく、闇雲にもっちゃらもっちゃらしがみついてあとは敵のスタミナ切れ待ちだ、みっともない。田舎じゃUFCとか放送ないんか。家にテレビないんか。


対話で落としどころを探ったアントワーヌのやり方は結局うまくいかず、バカ兄弟の単純な暴力に屈してしまう。ただ彼にも分岐点はあった。妻オルガにこの土地を諦めるべきではと諭された時、彼は「逃げたくない」と言ったのだ。知識人アントワーヌでさえ「今ここで敵を懲らしめる」「今ここでバカに勝利する」という強烈な誘惑には抗えなかったのだ。その帰結がもっちゃらもっちゃら殺人事件なのである。


後半、映画は妻の行動を追う。夫が殺された以上、この土地を去る選択肢はもはやない。妻は尋常ならざる根気で夫の遺体を探す。娘との愛情深き対立と和解(この対話の長回しも凄まじい)。この妻が、実はいちばん強い人間なのである。ほとんど理想的な、抽象的な人物像とさえ言えよう。彼女はバカ兄弟の限界を見切っており、必要な警戒を怠らず、必要以上には恐れない。無能な警察にはハナから期待しない。数少ない自分にできることを粘り強く続ける。娘の説得にも揺らがぬ鋼鉄の意志。彼女の強さは、羊を買う一連の場面によく表れている。


強さとは暴力を行使することではなく、強さとは知性を欠いては得られない。強さとは歩みを止めず闘い続けることだ。もはや他者は関係なく、味方がいるからやる、いないならやらない、そんなもんじゃねえ。ナメたやつには意志を示し、目的は決して諦めない。


もはや妻の眼中にはバカ兄弟さえ居ない。あんなもん狂犬病の野犬にすぎない。彼女の目にはバカ兄弟の老母が映る。自分のやってることが成就すれば、老母は独りきりになろう。ろくな死に方するまいな。でも、やるんだぜ! ゴメンねゴメンねー。なんて爽快な結末だろう。ボカー感動した。