前提

カヴァリエ氏の熱血日記でスポーツの話になったので、オレとスポーツのかかわりを少し。ちなみにここで言うスポーツとは、全部プロスポーツのことである。
いきなりだが、オレは全然スポーツに興味のない人間だ。野球にもサッカーにもバスケにもホッケーにもバレーボールにもラグビーにも興味はない。「スポーツ」という、定義も曖昧でよくよく考えてみたらものすごく間抜けな語感の言葉そのものが嫌いだ。
非常に大雑把で大まかで単純な話からはじめる。例えば野球は3アウトでチェンジになる。オレは「なんで3アウトでチェンジなんだよ」と思うのだ。2アウトでチェンジでも4アウトでチェンジでも別にいいじゃねえか。実際どうなのかは知らない。もしかしたら3アウトでチェンジでなければならないまっとうな理由があるのかもしれないが、そうだとしてもだからってこの話の主旨は変わらない。
つまり、3アウトでチェンジと決めたやつがどこかにいるということである。そいつをつれてこいよ、と思ってしまうのだ。なんで3アウトでチェンジなのか説明してみやがれ、と思ってしまうのだ。オレは野球のルールにまったく必然性を感じない。意味があるとも思えない。そして、誰かが決めたルールを盲目的に受け入れ、3アウトでおとなしくチェンジしている野球というものと一生を通してつきあいたいとは思わないのである。それは野球に限った話ではない。ほとんどのスポーツが実は「ゲーム」にすぎないのではないか。ルールや競技そのものに意味はまったくないが、そういうもんだと割り切ったやつらがグルになって作る勝負、つまり「ゲーム」である。そうだ、スポーツなんて曖昧なことを言ってるからダメなんだ。あれは「ゲーム」なのだ。人がやってるゲームを、オレは金払って見る気にはなれないというだけのことだ。
しかし例えば格闘技には、これはゲームではないと感じる。「野球がうまい」ということとは比較にならぬほどの重要な意味が、「強い」ということそれ自体にあるとオレには思えてならない。野球の勝敗は、誰かが勝手に決めたルールの中でのみ通用することだ。野球が生まれる以前には、野球がうまいやつなどいなかった。しかし格闘技が生まれる以前から「強い」やつは存在した。「強さ」を競うということには重要な意味があると思うのだ。それになら、木戸銭を払ってもかまわない。格闘技にもルールがあるではないかと言われそうだが、様々な格闘技のルールは「強さ」というものの解釈の違いによるものである。それは、誰かがエンピツ転がして3アウトでチェンジと決め、誰かがサイコロ振ってゴールにシュート決めたら1点と決める「ゲームのルール」とは、原則的には別の世界にある。オレは小学生の頃からなんとなくそう思っていた。
この話続く。