あの鐘を鳴らすのは永田

内外タイムスの永田さんコラムは「続く」になっているので、翌週もこのゴタゴタの続きが(話せる範囲で)赤裸々に語られるのだろう。永田さんを監視するため3年前の大晦日に生み出された対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスであるところのオレにとって、この連載への興味は尽きない。
しかし今我々が注目すべきなのは、思い出したくもないであろう悪夢のようなヒョードル戦を淡々と、或いは飄々と語れてしまう永田さんの人間的なスケールについてである。
そもそも、新日本プロレスの歴史は激動の歴史であった。数々の企画が生まれては消えた。アントニオ猪木がトップを張っていた頃は、猪木の気の向くまま団体の方向性はあっち向いたりこっち向いたりした。成功もあれば失敗もあった。のちに猪木は政界に進出し秘書から「宗教風見鶏」呼ばわりされるのであるが、我々からするとコイツ今さら何を言ってるんだってなもんであった。極端な話、モハメド・アリを上げたリングにたけし軍団や海賊男を上げるような人なのだ。それでも猪木時代は「猪木の興味の赴くままに」という意味で、猪木商店としての新日の方向性は一貫していたのである。存在自体が矛盾の塊のようなアントニオ猪木という不世出のプロレスラーは、あらゆる矛盾を呑みこみ、強引に新日本のリングをまとめあげていたのである。
時代が平成になり猪木が一線を退いてから、新日の迷走は始まった。舵取りがコロコロ変わり、勃興してきた格闘技勢力に翻弄され続け、コンニャク社長は東スポでのみ自社の状況を知った。猪木がいなくなっても何のことはない、新日の方向性は相変わらずメチャクチャだった。そして、リングの上で発覚し続けるデタラメさを呑みこむことができるスターレスラーを欠いていた平成新日が現状にどう折り合いをつけたかといえば。
「なかったこと」にしたのだ。都合の悪いことは全て「なかったこと」にしてきたのである。JJ・JACKSとか。この傾向はレスラー個人の言動にも及び、試合に負けた直後のテレビインタビューで「なんだオラ! 負けてねえぞコラ! こんなもんじゃねえぞオラ! エーオラ! オエッ!」と吠えて自ら試合の価値と自分の価値を著しく下げまくるレスラーが続出した。新日はこうしたことを繰り返し、十数年にわたってゆっくりゆっくりダメになっていったのである。昨日や今日始まった没落ではないのだ。
つまり平成新日の歴史は「なかったこと」の歴史であり、レスラーは会社の決定に唯々諾々と従うサラリーマンの群れと化した。その中でもド真ん中のサラリーマンレスラー、ザッツサラリーマンと呼ばれたのが誰あろう永田さんだったのだ。
しかし、もうそろそろハッキリさせておいたほうがいい。今の永田さんは、単なるサラリーマンレスラーではない。id:Dersu:20060401の繰り返しになるが、永田さんは「リアルサラリーマンレスラー」なのである。オレは、あのヒョードル戦を境に永田さんは変わったと見ている。都合の悪いこと(たとえばキモ戦)をどれもこれも「なかったこと」にしてやり過ごしてきた永田さんが、やり過ごせないほどの巨大な失策をしでかし、それを世間から追求され続けたとき、どこかで永田さんのスイッチが切り替わったのだ。窓が開いて、風が吹きこんだのだ。それは「開き直った」というほどの目に見える変化ではないけれど、今思えばリング上での感情表現やマスコミ取材におけるナチュラルな図太さが、それ以前の永田さんよりも増したように思えてならないのだ。
オレがそうはっきり悟ったのは、前田日明との舌戦のときであった。前田日明といえば歯に衣着せぬ男で、極右か極左か極道かは知らないけれど「極」という字がよく似合う、歩く舌禍事件とでも言うべき男である。前田日明が永田さんのヒョードル戦をこき下ろしたとき、長年の前田ファンであり前田日明イデオロギーを心に持つオレ様ちゃんは「そうだそうだマエダさんのおっしゃる通りだ!」と思ったものだ。そして、永田さんはいつも通り「なかったこと」としてひっそり対処するんだろうなあ、と思ってもいたのだ。だって同じく惨敗したミルコ戦については「ひとつ言えるのは(再戦に)動きだしたってことです!」とカラ手形を切ってすませてきた男なのだ。ところがこの時の永田さんは違ったね。世界が恐れるDVレスラー・前田日明に猛然と反論したのだ。的外れな反論もあったが、おおむねは前田日明の痛いところをきっちり突いた反論だった。特に「何が温故知新だよ。オレに言わせりゃウンコチンチンだよ!」というセリフにはしびれた。子供かよ。
永田さんはマイナスを「なかったこと」にするのではなく、そのマイナスさえ永田裕志というレスラー像のコヤシにしてしまうタフネスをいつの間にやら身につけていたのだ。だから前田日明に対しても、ある種の確信を持った対処をできたのだ。前田日明のツッコミに対しても、一切ブレない崇高なるリアルサラリーマン理念が完成していたのだ。そうなった契機は、ヒョードル戦以外にはあり得ないとオレは思うのだ。
かつて「オレはお前の噛ませ犬じゃないぞ!」と叫んだ長州力は、当時のサラリーマン層の絶大な支持を受けたという。オレは思うのだが、現代を生きるサラリーマンは今こそ永田裕志というレスラーを見るべきである。そしてリアルサラリーマン道を学ぶべきである。ヤンジャンで「サラリーマン金太郎」などというクソマンガを読んで、なんとなくやる気になったフリをして実際は現実逃避しているようじゃダメだとオレは思う。永田さんに現在進行形のリアルサラリーマン像を見いだすべきなのだ。サラリーマンになるのがイヤなばかりにデタラメな人生を送っているオレでさえ、そう思う。