新海先生の場外ホームラン「言の葉の庭」


新海誠の最新作「言の葉の庭」を公開翌日の土曜に観てきました。素晴らしい出来でいたく感慨深かったのだけど、感想はなかなか難しくて書けず、1週間経ってしまった。今までは人を選んでオススメしてきた新海作品だけど、今回は万人にオススメできます。劇場でやってる間に、皆さん観るとよろしいのではないかと。なぜか早々とソフトも出てるけど、劇場で観るべきクォリティの映像でしたよ。

当然、場外ホームランをブッ放すこととなる。 (★4)
秒速5センチメートル」のコメントでも書いたことだが、もともと新海誠作品の登場人物にはキャラクター固有の個性が存在せず、一種の記号として描かれてきた。美しく描きこまれた雄弁な背景美術に比べ、記号的なキャラクターデザインは個性に踏み込まず、ただ「少年」だったり「少女」だったりをボンヤリと表現するに留めていた。これは観客の「同一化」を狙った意図的な演出で、実在するかの如くキャラクターの個性を描きこみ「感情移入」させる演出とは根本的に違う。エロゲー文化が長年にわたって育んできた方法論であり、ユーザーは顔の出ない主人公キャラになりきってロールプレイしてくださいよという約束事を観客に強いるものであった、とオレは認識している。

そのうえで新海先生は思春期特有の刹那の切実なアレだけを極太妄想フルスイングで描くことに専心し、それ以外をバッサリ切り捨ててきた。ゆえに社会も大人も存在しない、抽象的だが普遍的で、妙な不安を伴った不思議なバランスの映画が生まれる。これこそ、先生がセカイ系のエキセントリック青年と見做された所以であろう。新海アニメの情緒にハマり耽溺する先鋭的なファンを生みだす一方で、ついてゆけぬと途中下車する大勢の観客も生みだしてきたのだ。

だが新作「言の葉の庭」は違った。少年には個性があり家族があり固有の人生があり、学校ではそれなりに社会につきあってもいる。新海先生は、はっきりと「感情移入」の映画に舵を切っている。いやマーこんなことは普通の劇映画では当たり前にできてることで、それを無用と切り捨ててきた今までの新海先生がトンガリ過ぎてただけなんだけど、今回は万人に届き理解されるための斯様な基礎工事の手順をきちんと踏んだうえで、先生お得意の思春期の刹那の切実なアレに挑んでいる。こうなってみると、新海先生なんかそもそも無駄に膨大な表現力を持て余していた超高校級スラッガーである。当然、場外ホームランをブッ放すこととなる。

もしかしたらこの兆候、実は前作「星を追う子ども」にすでにあったのかもしれぬ。あの少女や先生は、固有のキャラクターによる固有の物語を語ろうとしていたのかもしれぬ。ただあのお話はあまりにもいろいろとネジがブッ飛んでましたからね、ぼかーポカンとしちゃったんですよ。同じようにポカンとした観客は多かったのではないだろうか。

言の葉の庭」は新海先生のよきところがすべて、遺憾なく十全に発揮された映画だ。繊細な心の動きを追う小さな物語、身の丈にあった範囲の確かな実感による表現。新海フィルターを通して見る新宿は美しい。現実の新宿なんてねえ、うす汚いもんですよ。雨の日なんかドブの臭いですよ。甲州街道をロボットレストランのトレーラーが大音響を流しながら走り、南口を出ればわくわくメールで出会って4秒でセックスな巨大看板が目に飛び込んでくる。ポン引きとヤクザとホストが跋扈する、欲望の魔界都市新宿鮫も泳いでる。しかし新宿御苑にスタジオを構える新海先生は、ご近所の半径数キロの世界をこのうえなく美しく描いてみせる。そもそも新宿で最も品のよい御苑を仕事場に選んだ時点で、先生の作家性がはっきり出てるよなあ。オレなんか新宿の近くに住みたいなと思って実際に数年間住んだのが新大久保のブタ小屋だからね。路地裏でドブネズミと這いずりまわってね、毎日緊張感ありましたよ。ま、わたくしの話はアレとして。

作劇の手練手管をきちんと駆使したうえに、固有のキャラクターとして実在感のある少年と女性の小さな物語が展開される。この映画の後半、特に学校の先輩に会いに行く場面なんて非常に危なっかしくてハラハラするんだけど、あのへんになるともうキャラクターが勝手に生きて、勝手に動いてるように見えるんだな。これは過去の新海作品にはなかった現象だ。だからクライマックスのダイアローグの激突には、気恥ずかしさを超えた真実味が宿っている。襟を正して向き合わねばならぬと思わせる迫力がある。いや、普通はですねえ、男女が盛り上がって涙流して抱き合ってJポップが流れたら、そりゃーもう安っいウンコテレビドラマの世界ですよ。噴飯ものですよ。しかし、そうはなっていない。「言の葉の庭」が46分の尺の中で積み重ねてきた真っ当さが、ついに「感情移入」という魔法を生んでいるからだ。灰色の雨がざんざん降ってたのに、感極まった女性が心情を吐露する瞬間、彼女の顔は眩い陽光に照らされ、雨粒は金色に輝いて2人を包みこむ。雨、風、光、空気、ありとあらゆる自然現象を自在に駆使して臆面もなく物語を謳いあげている。

十数年前、1台のパワーマックと借りパクのモチーフだけで短編アニメを作っていたオタク兄ちゃんが、今や世界レベルの筆力を縦横に使いこなす本物の映画作家になったのだ。「秒速」のコメントでも書いたが、こういう作家の映画こそ、海外の映画祭に持って行くべきだと思う。かつて「羅生門」を観た外人さんがなんじゃこれはと腰を抜かしたように、「言の葉の庭」は現代の日本を生きる特異な作家にしか生み出せぬ独自性に溢れている。スピルバーグとかイーストウッドとか、この映画観たら座りションベン漏らすと思いますよ。世界をビビらせるに足る作品です。マジだぜ。