「英雄の証明」 社会のバグと、愚かで悲しい我々

どうしてこんなことに

徳島に密航して、アスガー・ファルハディ監督の新作「英雄の証明」。10年くらい前にファルハディ監督の「別離」を観て、なんだよなんだよイラン映画ってこんな達人が映画作ってんのかよ、と驚かされたものだ。今作は昨年のカンヌ映画祭で、あたりまえのようにグランプリを獲っている。以下感想だが、ネタバレを避けたいので内容にはあんまり触れてない。何はなくとも映画を観ていただきたい。ええーイランの映画でしょー、そんなの面白いのかよーと思われるかもしれないが大丈夫。ほとんどの映画よりは面白いよ。

アスガー・ファルハディの語り口はまるで名人の落語のよう。死ぬほど見事なラストシーンが典型だが、映画基礎体力が高すぎる。この人が作ったら、どんな話でも面白くなってしまうのではないか。 (★4)


冒頭の出所から遺跡のロケーションで掴みはOK。以後は精緻な情報のコントロールとアレヨアレヨの展開に翻弄されるばかりで、メチャクチャ面白かった。


心底ゾッとした場面は終盤に訪れた。ムショのおっさんが釈明動画を撮りたいと言い出して、スマホで主人公の息子を撮影する。吃音症の息子は懸命に喋ろうとする。それを見ていた主人公は、最初からやり直そうかと言う。するとムショのおっさんは、イヤこれでいいんだ。これがいいんだ。哀れみを誘うじゃないか。あ、今ちょっと笑ったな。ダメだ、もっと悲しそうな顔をするんだよ。


おっさんが映像の「演出」を始めるのである。確かにそれは拙い、原初の演出だ。しかしこれが、スマホや動画投稿サイトの普及とともに「意図を持って映像を演出する」人類が有史以来最も多くなった、この「現代」という度し難き怪物の断面なのである。明らかにファルハディ監督は、ヘビー級のパンチ(表現)を持っている。ハッキリ言ってこの映画には盗作疑惑(詳細は各自調査されたし)があって、映画を観る前は自分も気になっていたのだが、観てしまうとあーもう全然、そういう問題じゃねえわと言わざるを得ぬ。盗作か否かは、この映画の凄さにほとんど関係がない。ま、盗作だったらムショにでも入ればいいんじゃないですか。自分にとって重大なのは、この映画にヘビー級のパンチを確かに見たということなんだ。


ファルハディ監督は、社会のバグを描くために登場人物を地獄に落として観察するようなところがある。こういう人はねえ、映画は凄いけど性格は悪いんですよねえ… まあファルハディ監督がどんな人かは知らんけどねえ…

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