鈴木敏夫プロパガンダ 「天才の思考 高畑勲と宮崎駿」

2019年(高畑勲死去の翌年)に出た文春新書。鈴木敏夫の口述本で、高畑・宮崎を中心にジブリの足跡を語っている。言うまでもなく鈴木敏夫史観によるジブリ史であり、鈴木敏夫に都合のいいことばかり語られ、都合の悪いことは語られないか、矮小化されている。勝者の語る歴史である。

では、鈴木敏夫に都合のいいこととは何か。まず語り部としてウケる鉄板ネタ。周囲の人に何度も語っていくうちに枝葉が整理されネタ化された数々の面白エピソード。加えて、鈴木さんすごいすご~い、と褒められるような制作秘話。えっ、あの映画のアレは鈴木さんがこう言ったからああなったんだ、みたいなやつ。幇間サンパブロこと川上量生が「さすが鈴木さんでゲスよ! 鈴木さんの言う通りでゲスよ!」と持ちあげるやつね。

つまりキャバクラでキャバ嬢相手に調子こいてる鈴木敏夫の隣の席で聞き耳を立てているような気分になる本である。それを前提として読まねばならない。鵜呑みにすべきじゃないし、できない。そんな本でもオッ、これはと思う箇所も幾つかあったので、ここに一部引用しようと思う。

まずは高畑勲の「おもひでぽろぽろ」制作中。リアリズムでデザインされたキャラクターの頬骨や皺の作画にアニメーターたちが大苦戦。進行が遅れスケジュールが危機に瀕し、公開が危ぶまれた時。

今回の企画の言い出しっぺである宮崎駿はどうしたか? 会議室にメインスタッフを全員集めて、スタジオ中に響き渡る大きな声で檄を飛ばしました。
「絵の描き方を変えろ! こんなことをやっていては、いつまでたっても終わらないぞ!」
宮さんのあんな声は、後にも先にも聞いたことがありません。一方、当事者の高畑さんはうなだれるばかりです。宮さんが「パクさん、なんか言ってください!」と水を向けても「はい」と言うだけ。ところが、宮さんが帰った後、高畑さんはこっそりスタッフの間をまわって、「いままでどおりの描き方でいいですからね」と言うんです。

鈴木敏夫によると、宮崎駿はこの時大声を出しすぎて震えが止まらず、三日間眠れなかった… と後に語ったという。

続いては「紅の豚」制作中、「平成狸合戦ぽんぽこ」の脚本が完成したと知った宮崎駿。

「制作中止にしよう」
冗談を言っている顔じゃありません。真剣なんですよ。
――俺はいつも作品を一年で作ってきた。でも、パクさんは二年かけて作る。これじゃジブリの主流はパクさんで、俺は傍流じゃないか。いま俺がどんな思いで『紅の豚』を作ってると思ってるんだ。パクさんが『おもひでぽろぽろ』でガタガタにしたスタッフを立て直すために、俺がどれだけ苦労しているか、他ならぬ鈴木さんが一番よく分かってるだろう! だから、『狸』は制作中止だ!

「制作中止にしないのなら、俺がジブリを辞める」と言い張る宮崎駿と1ヶ月ほど押し問答が続いたある日、宮崎駿は呻きながら胸を押さえて倒れたという。救急車を呼ぶかとジブリは大騒ぎになったが、幸い大事には至らなかった。

続いて「平成狸合戦ぽんぽこ」の制作終盤。

その日、僕は都心に行く用事ができて、スタジオを留守にしていました。その間隙を突いて、『狸』の作業場にやって来た宮さんが、メインの原画マン5人を呼んで、「クビだ!」と告げたんです。みんなわけが分からないけれど、宮さんがえらい剣幕なので、仕方なく荷物を片付け始めた。
宮さんから「鈴木さんには連絡するなよ」と釘を刺されていたんですけど、その場にいた僕の部下の高橋というのが何とか脱出して僕に電話してきた。そこで、僕は慌ててスタジオのある東小金井にとんぼ返り、五人を引き留めました。むろん、宮さんには何も言いませんでした。

流石にそこはなんか言った方がいいんじゃないかと思うけど、下手なこと言って怒らせて辞められちまったら飯の食いあげだもんな。猛獣使いの阿吽の呼吸というやつか。

と、ほんの一部を抜粋しただけでこれなので、いかに鈴木敏夫がキャバクラでモテモテか、容易に想像できるというものだ。あまりにもモテモテなので飽きちゃって、カンヤダちゃん方面に走っちゃったのかもしれないなあ。