地獄はすぐそこ 「孤高の遠吠」

レンタルDVDで「孤高の遠吠」を観る。

孤高の遠吠 [DVD] (早期購入特典あり)

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これは凄かった。これ作った監督が24、5才の若者だそうですよ。機材や編集ソフトが高品質で安くなったこの時代、アニメも実写もやる奴はやる、やらない奴はやらないという言い訳無用のやったもん勝ち時代になってしまったなあ。この才能とやる気は凄いわ。これ傑作だろう。まーでも、何度もは観たくないなあ。だってオレがいちばん目をそむけていたい、こわい内容の映画だからなあ。

心底恐ろしい「田舎は地獄」映画。(★4)

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ここに継承あり 「イップ・マン 継承」


イップ・マン 継承 [Blu-ray]

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新宿武蔵野館で「イップ・マン 継承」を観てきました。東京に住んでて嬉しいのはこういう時で、観たいときに観たいものを観られるという歓びはちょっと何ものにも代え難いものがあります。映画も最高でしたよ。以下、過去作の感想リンク。

「イップ・マン 序章」と「イップ・マン 葉問」の感想

「カンフー・ジャングル」の感想

そして以下、今回の「イップ・マン 継承」の感想。マイク・タイソンもよかったよ!

かつてドニー・イェンブルース・リーを異常に好きなだけの、戦闘的な若き武打星だった。彼が年を経て、かくも円熟の境地に達して映画を作ってくれていることに心から感謝したいと思うのだ。 (★5)

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12年を3時間弱で 「6才のボクが、大人になるまで。」

奇跡は誰にでも一度おきる だが おきたことには誰も気がつかない (漫画「わたしは真悟」より引用) (★4)

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空をこえて ラララ ララランド

アカデミー作品賞に輝いたかと思われた「ラ・ラ・ランド」が実は誤発表でした、と話題になった翌々日が久しぶりの休日で、その「ラ・ラ・ランド」を観てきましたよ。以下、CinemaScapeに投稿した感想。あのー自分でこういうことを言うのもアレなんだけど、CinemaScapeにおける直近のオレの採点は「ラ・ラ・ランド」が★3で、「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」が★4なんだよな。自分のことながらさすがにこれは、数字による映画の採点なんてアテにしてはいけないばかりかそもそもオレの映画の感想なんて真面目に読んじゃあダメですよと、このダイアリを読んでくださる奇特な諸兄に老婆心ながら忠告差し上げたいと思いました。

〇オカダ・カズチカ(46分45秒 レインメーカー→エビ固め)ケニー・オメガ● (★3)

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大仁田厚の私的な世界 「Monja」

Monja [DVD]

Monja [DVD]

  • 出版社/メーカー: 開発品メーカ
  • 発売日: 2006/12/22
  • メディア: DVD
レンタルDVDで、2006年の日本映画「Monja」を観る。原作・監督・主演が大仁田厚。公開時のキャッチコピーは

「昔、ロックスター 今、ろくでなし みんなまとめて もんじゃ焼き」

なかなか難解な作品なのである。

大仁田は2001年から2007年まで自民党の参議院議員だった。この映画が撮影されたのは2005年で、公開は2006年。あのー、よく知らないんだけど、国会議員ってのは任期中に映画の監督や主演ができるほどのヒマがあるのだろうか。まあでも、大仁田だからいいのか。

冒頭、ラジカセから流れるラジオの音。リクエスト曲は「マサ&ブルースカイ」で「リバーシティ」。曲が流れる。「リバー… うぉうぉう… リバー… うぉううぉういぇい… いぇいぇいぇい…」 タバコに火をつけ、なぜかジャックダニエルの水割りらしきものに紅茶のティーバッグを入れて飲む男。そのグラスにはなぜか歯ブラシが突っ込まれている。金魚にエサをやる男。大仁田である。マサ&ブルースカイのマサである。この冒頭は明らかに「傷だらけの天使」のショーケンごっこだ。

昔ロックスターだったらしいマサ、こと大仁田。部屋を出てなぜか近所をロードワーク。おいおい大仁田ヒザ悪いのに*1大丈夫かな、などと思っていると、ジョギング程度の速さで走りながら、何度も左ヒザを気にして痛そうに顔をしかめるマサ。おいちょっと待て、これ完全に大仁田やないかい。ロックスターは普通ヒザに爆弾を抱えないと思うのだ。よく見りゃ顔や腕に傷跡いっぱいあるし。

ストーリーを追って説明するのが早くも面倒になったので、物語の流れについては映画「Monja」についてたぶん日本一詳しく解説とツッコミを入れているこちらの記事を読んでいただきたい。

Monja - 愛の巴投げ

「傷天」ごっこからはじまったこの映画、マサが借金の回収をやっているというヨゴレ設定はあからさまに「ロッキー」だ。マサがランニングするシーンにはご丁寧に階段まで出てくる。しかも映画序盤のランニングでは息が切れて階段をのぼれず、音楽活動に復帰した後半は階段をのぼってバンザイポーズまでしてくれる判りやすさだ。

ヤクザの借金取りたてに悩まされる商店街の問題は、自民党つながりの古賀誠衆院議員がチョイと手助けしてアッサリ解決する。普通の映画ではありえない展開だが、他人の権力を平気でアテにする無邪気さ、厚かましさは大仁田らしいといえばらしい。この古賀誠議員、かつては運輸大臣や自民党幹事長を務めたなかなかの悪党なのだが、この映画が撮影された2005年には草間政一政権下の新日本プロレスでIWGP実行委員会のコミッショナー兼実行委員長という要職に就いている。プロレス、キライじゃないんだろうな。猪木時代のコミッショナーは二階堂進だったしな。

この作品、もんじゃ焼きで有名な月島商店街の町おこし映画になっている。もんじゃ焼き屋も商店街も出てくるが、商店街の面々が全員ヤクザに借金しているという設定なので、いいイメージとは言い難い。どうせ大仁田が暗躍して金持ちを捕まえて口八丁手八丁、訳も判らぬうちにカネを出させたんだろうなあ。そもそも、大仁田と月島に何か関係があるのかさえよく判らない。

ここでオレがこの映画の感想を如何様に書こうとも、読んでるあなたがこの映画を観ることはたぶんないと思うので、ネタバレ全開で書きますよ。大仁田がいきなりチンピラに刺されて死ぬという結末には、唖然とさせられた。これはテレビ版の「探偵物語」最終回ですわな。松田優作がスーパーの冴えないバイト兄ちゃんに刺されるという、衝撃のラスト。ああ、大仁田こんなんやってみたかったんだろうなあ… という感想しか出てこない。傷天、ロッキー、頑なに黒い革ジャン姿のロックスターという抽象的概念、そして探偵物語。大仁田が何を観て育って、何がカッコいいと思っているか、一切の工夫なしにモロ出しにチョチョシビリしている。こういうの、普通によき映画が観たい人にとっては噴飯物だろう。しかしオレのように娯楽目的ではなく大仁田厚研究の一環としてこの映画を鑑賞する学究の徒にとっては、大して不愉快でもないんだよな。むしろ非常に興味深い歴史的資料を発掘できたような気分が味わえる。

大仁田は1957年生まれで、判りやすく言うならばこれは「地球防衛軍」が公開された年だ。「傷天」放送は1974年からで、大仁田17歳。すでに全日本プロレスでデビューを果たしていた。「ロッキー」の日本公開は1977年で、大仁田19歳。「探偵物語」放送は1979年からで、大仁田21歳だ。81年に海外遠征に発つ前、若手時代・青春時代に憧れたモチーフを、明治大学の夜学を卒業したばかりの当時49歳のプロレスラー兼国会議員が自身の監督デビュー作で恥ずかしげもなくブチまける… まあ普通ならボロクソに批判されてしかるべきなんだろうけど、オレ個人としては決して不愉快ではないのであります。むしろちょっとカワイイとさえ思える。DVDに収録されたメイキングやインタビューによれば、大仁田はプロのスタッフに気を使いながら毎日必死で早起きして、編集作業にも参加して、それなりにきちんと作ってるんですよ(駄作だけどな)。まー議員活動は全然きちんとしてなかったんだろうけど、大仁田が果てしなきヨゴレの果てに小さな夢を叶えたんだなあと思うと、他人事ながらオレなんかちょっと嬉しくなっちゃうんですね。

あとねえ、大仁田がかつて一世を風靡した伝説のロックバンド「マサ&ブルースカイ」のマサであるという設定のため、劇中何度も何度も大仁田が歌うんですね。冒頭ラジオから流れる「リバーシティ」もアホみたいに何度も何度も流れて、エンドロールでも流れるんだけど、わたくし何度も何度も聞いてるうちになんだかこの歌が気に入ってしまいましてね… 「リバー… うぉうぉう… リバー… うぉううぉういぇい… いぇいぇいぇい…」 これCD出てないんだよなあ。youtubeにもないんですよ。だからですね、アマゾンで中古DVDを買ってしまいました。200円でした。なんだ、レンタル代より安かったなあ。

国会デスマッチ。―裏ネタ暴露100連発!

国会デスマッチ。―裏ネタ暴露100連発!

  • 作者:大仁田 厚
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2008/01
  • メディア: 単行本

ダンガン教師 [VHS]

ダンガン教師 [VHS]

  • 発売日: 1995/04/21
  • メディア: VHS

*1:1983年に左ヒザの皿を粉砕骨折している

柳澤健「1984年のUWF」と、オレの「U」

1976年のアントニオ猪木」ほか、クッソ面白い数々の著作で知られる柳澤健さんの新作「1984年のUWF」を読んだ。

自分は雑誌「Number」での連載は断片的に数えるほどしか読めておらず、今回の単行本でまとめて読んだ。寺田克也画伯の装画がメッチャカッコいい。だがズバリ言って、「ああ、いい本を読んだなあ」という満足感は皆無だ。これはそんなに単純な、簡単な話ではないのである。読み終えた時の自分の表情は険しかったと思う。様々な感情が去来してウーン、ウーンと唸りをあげるばかりだった。要するに動揺し、狼狽したのだ。

2年ほど前、柳澤さんの次回作のネタがUWFであると聞いた時、オレはギクリとしたのだ。実は早くもイヤなイヤあな予感があったのだ。UWFという現象、思想、共同体、運動体、道場、興行、報道、文学、あれやこれやそれらには様々な「史観」が乱れ飛んでおり、およそ簡単には総括できず、人それぞれの中に我思うUがあり、故にUあり、国破れてサンガリア、表に現れた事象だけとってもいろいろな人がいろいろな事を語っている「藪の中」状態。しかし柳澤健が書くとなれば、これはもう強い説得力と鋭い筆致でビッシビシ総括してしまうだろうから、わたくしとしてはアッ、ちょっと待ってください!(山本小鉄)という心境だったのだ。つまり恥ずかしながら、自分の中のUの記憶のカサブタはいまだに癒えてないのだ。このカサブタだけはひっぺがさないでくれ、あの頃の煮えたぎるグチャグチャを断罪しないでくれ、関係者みんなくたばるまであと30年くらい待ってくれ、という弱音も本音の一部だった。

1972年高松生まれのオレは「1976年のアントニオ猪木」に間に合わなかった(4歳だったからな)。記憶にあるのはスタン・ハンセンやタイガー・ジェット・シンアンドレ・ザ・ジャイアントらと闘う猪木だ。小学3年生から5年生の頃にかけて活躍したタイガーマスクには夢中になった。タイガーはすべてのガキどもの英雄だった。また、1983年高松市民文化センターで行われたアントニオ猪木前田明(当時)の唯一のシングルマッチ(第1回IWGP公式リーグ戦)をオレは2階最前列から生観戦している。これは一生の自慢である。若き前田がスープレックスを幾つか披露し、猪木の適当な延髄斬りでピンフォールされた。オレは声を枯らして猪木を応援したものだ。高松市民文化センターには様々な思い出があるが、今はもうない(高松市民文化センター Wikipedia)。そして同年6月、IWGP勝戦の猪木失神事件には度肝を抜かれた。人間不信!

四国高松のガキだったオレにとってテレビ放送のない第一次Uは、週プロや大スポの中で時折見かける「白黒写真」だった。新日を退団したタイガーマスク佐山サトルや前田や高田やシロネコ(山崎一夫)や藤原が、ロープに飛ばずキックしまくる地味なプロレスをやっている「らしい」団体だった。相変わらず新日はテレビでやってたし、オレは普通に藤波対ディック・マードックなんかを手に汗握って観てたと思う。第一次Uが地方興行で苦戦したのも当然だ。

前田日明たちの新日Uターン(Uだけに)時代は鮮やかな興奮に彩られている。そしてオレが高校生になった時、新生UWFが旗揚げした。UWFは大ブームになり、前田はリコーのCMや缶コーヒーWESTのCM、「斉藤さんちのお客さま」などのテレビに出まくり時代の寵児となった。前田には強烈な魅力があった。中二病という曖昧な言葉を使うのには抵抗があるが、あの頃の前田日明は「男の中の中二心」を最大限刺激する存在だったと思う。ウルトラマンの敵ゼットンを倒すために起った志、大阪の喧嘩屋という出自、暴力と知性を併せ持つ純朴な人柄、黒髪のロベスピエール朝日ジャーナル少年マガジン、片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を。アアア〜。

オレは週刊プロレスUWF増刊号を握りしめながら、このクソ高校を卒業したらこのクソ田舎を出て東京に行ってUWFを観るのだ、そう思っていた。しかしオレが高校を卒業する直前、Uは分裂崩壊した。フロントと前田の対立を伝える週刊プロレスの誌面には、異常に細かい文字で横領疑惑だの株式保有だの会計監査だの弁護士事務所だの、ワケの判らぬ記者会見の記事が載っていた(あの号マジで凄かったよな)。1990年12月の松本バンザイ事件を経て第三次U再出発かと思われたが、年明けの前田の自宅における集会でパーとなった。上京してからのオレは青春の幻想のかけらを拾い集めるように各U系団体(主にRINGS)を渡り歩いた。 …と言えば聞こえはいいが、実際は新日に全日にFMW、WARにW☆ING、対抗戦時代の女子プロレスなど、90年代に花開いた爛熟のプロレス文化を満喫する立派なボンクラになったわけだ。

1984年のUWF」はオレの疎い「第一次U」を中心に描いている。この本ではじめて知ることもあり、グイグイ読ませる。佐山が去った後の新日Uターン時代や新生UWF以降のことは、たいへん駆け足のダイジェストになっている。しかしですね、どの時代にもいろいろあったんですよ。それはもう、本当にいろいろなことがあったんですよ。いつだって大変だったんですよ。旅館とかブッ壊したんですよ。全部書いてりゃ何冊書いてもキリがないかもしれないんだけど。この本が新生UWFをある種の空虚な時代としてアッサリ描いていることに、オレは到底納得できない。いや実はこの本の通り、確かにまったくもって空虚な時代でもあったんだけど、でもだがしかし、決してそれだけじゃなかったんですよ。新生Uは佐山思想のパクリで人気になったわけじゃない。いや概ねパクったのは事実であっても、それが人気の原因ではない。新生Uのブームは、前田日明という人間が時代にハマったことに尽きるんですよ。大衆はタイガーマスクに恋をしたけど、佐山サトルとその思想、シューティングが大衆に愛されたことなんか一度もなかった。タイガーマスクだけが愛されたのだ。このことは佐山を長年苦しめただろうし、ある時は救いもしたかもしれない。そして前田は、この本の中でターザン山本が言うような「カネと女とクルマにしか興味がない」人間ではない。三島や太宰、ゼロ戦マッキントッシュ、日本刀やサバゲー、巨乳AVにも興味あるんやで。

この本がジェラルド・ゴルドーや神新二、ターザン山本堀辺正史ら、発言そのものをまずは半信半疑で聞くべき面々の言葉を、けっこうそのまんま受けとめて書いているのも気になるんだよなあ。そのあたり、愛読するブログのふるきちさん(id:fullkichi1964)が、この本(連載時)についての反感や感心を率直に書いている。
リトマス試験紙としての「1984年のUWF」。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。
この記事内のリンクから、連載当時のふるきちさんの感想をすべて読んでいただきたい。前田対ニールセンについての記事なんか、胸を打たれます。「1984年のUWF」は、ふるきちさんの言う通り「リトマス試験紙」なのだと思う。さしずめオレなんかダメな口だ。いまだに前田が何を言った誰をディスったに過敏に反応して動揺してしまう。人生の一時期、前田日明はオレの英雄だった。そして今も、どこかしら現在進行形の存在なのだ。もうねえ、いっそ早いとこ死んでほしいですよ。そうすりゃいくらか、心が休まります。

なぜか冒頭に登場し、Uの話を読もうとしていた我々読者を戸惑わせる「北海道の少年」中井祐樹が巻末に再登場して、UWFの始まりから終わり、この長かった時代を振り返って俯瞰してみせるくだり。ただただ感慨深く、グッとくる。振り返るだけならわたくしのようなクソプオタでもいくらでもできるんだけど、時代の中で価値観を揺さぶられながら、時代の中に偉大なる足跡を確かに残してきた中井祐樹が振り返るからこその絶大な価値がある。正直言って文句や反感を少なからず覚えた本書なれど、この人選には脱帽するしかないのであります。

追記

ああ、またやってしまった。柳澤健「1985年のクラッシュ・ギャルズ」を読んだ - 挑戦者ストロング
で書いたような、「八百屋に行って魚がないと文句つける」式の書評をまた書いてしまった。なにしろタイトルが「1984年のUWF」なんだから、新日Uターン時代や新生Uやそれ以降のUの顛末は、ハナからこの本が描く時代の範囲外なのである。ゆえにこの記事は、書評としてはたいへんな的外れだ。まーそういうことですが、いろいろ記憶の奥をかき回され、刺激されて噴出した正直な気持ちを書いたので、記事は消しません。(2017.2.12)

「この世界の片隅に」、内容以外の感想

今年の下半期から非人道的環境で働いており、クッソ忙しくて映画にもなかなか行けない状態なのだけど、そうは言ってもまさか「この世界の片隅に」を観ないわけにもいかぬ。公開初日は無理だったが、公開翌週の平日に観に行った。2回観た。

2009年秋に公開された片渕須直監督の前作「マイマイ新子と千年の魔法」はオレにとって本当に特別で、生涯に数本しか出会えぬ類の映画だった。心を奪われて逆上したオレは当時このダイアリにあれこれ書いたし、上映延長願いの署名活動にも署名したし、延長上映に何度も足を運んだ。片渕監督にご挨拶したりTwitterで絡む機会も一瞬あった。数え切れぬほどの多くのファンと接する監督からすればいちいち覚えちゃいられないくらい小さなことなれど、ファンのおっさんことオレにとっては実に嬉しいものであった。

ゆえに監督の次作「この世界の片隅に」のクラウドファンディングにも参加した。「この世界の片隅に」が傑作になると読みきって出資する、という先見の明がオレにあったわけではない。観てもいない映画を応援するつもりなど全然なかった。あくまで「マイマイ新子」に出会えたことへの感謝、監督へのお賽銭のようなつもりだった。そもそも、映画「この世界の片隅に」が凡作になる可能性だって大いにあると思っていたのだ。なぜなら片渕監督の初監督作品「アリーテ姫」は、まあ、ウン、いいですね。なるほど。はい。という感じで、正直オレには全然ピンとこない映画だったからだ。つまり「マイマイ新子」のみがオレのためだけに神が遣わした奇跡の映画であって他はそうでもなかった、という展開はいかにもありそうに思えたのだ。

だが先日観た「この世界の片隅に」は明らかに「本物」だった。控えめに言っても、今年最高の映画である。小さい公開規模ながら今回はヒットしており、上映館も増えつつある。いやー、こうでないとな。「マイマイ新子」の時なんか誰も知らなかったからな。嬉しい。

それでも今回、オレは落ち着いている。「マイマイ新子」がオレ個人にグッときたのとは違って、「この世界の片隅に」が万人に届く、より成熟した作品だったからかもしれぬ。また、映画が素晴らしいほどに原作の凄さを思い知るという構造になっているためかもしれない。それ自体がたいへんな傑作である原作に対しても、片渕監督は揺るがぬ実力を証明したのだ。ちなみに「マイマイ新子」ではけっこう好き放題にオリジナルやってましたからね。だからオレにとっての特別の中の特別な映画ではなく、「この世界の片隅に」は万人が胸を打たれる立派な、どこに出しても誇らしく、誰にとっても愛らしく、破格の実在感を持った、みんなの特別な映画になった。本当によかったと思うのだ。

「七人の侍」(4Kデジタル上映)

非人道的な環境の職場で働く毎日の中、珍しく休みがとれたので立川に黒澤明の「七人の侍」を観に行った。しばらく前から「午前十時の映画祭」で4Kデジタル上映をやっており、観た人々の反応をtwitterなどで目にしてはいた。何しろキレイでびっくりする、音もいい、三船敏郎のセリフが聞きとれる、左卜全のセリフはやっぱり聞きとれない、などといった人々の感想はおおむね正しく、オレも今回の「七人の侍」の映像の美しさとクリアな音響には圧倒された。

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「映画 聲の形」 きみたちはテリーマンか

現在、短い夏休みを過ごしております。台風や雨ばっかりだけど。

映画『聲の形』Blu-ray 通常版

映画『聲の形』Blu-ray 通常版

  • 発売日: 2017/05/17
  • メディア: Blu-ray

映画 聲の形」を観てきた。映画を観ながら連想したのは原恵一の映画「カラフル」と、現在webで連載中の「キン肉マン」におけるテリーマンだった。近年のテリーマンは「わかりあうために闘う」ことをテーマに掲げており、ジャスティスマンとのイデオロギー闘争においてボロボロの体になりながらも生還を果たした。なぜ「左足を奪われ両腕をもがれても戦うテキサス・ブロンコ」テリーマンを連想したかは、以下の感想に書いた。原作と映画のネタバレがあるので、未見の方は読まないように。とっととブラウザを閉じて、劇場に観に行ってください。

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コミュニケーションの失敗を正すため、たとえ傷ついてもノーガードで何度もぶつかりあう青少年たち。その姿は痛々しくも眩しく、尊いものに見える。(★4)

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ボーキャクとは忘れ去ることなり 「君の名は。」

新海誠監督の最新作「君の名は。」を観てきましたよ。観客には若い子が多くて、総じて好評ムード。泣いちゃってる女の子もたくさんいましたよ。

万人向けとまではいかずとも、若い世代の支持を得るエンターテインメントを新海先生がモノにした一方、劇場に貼られていた「好きになるその瞬間を。 告白実行委員会 劇場版第2弾」のポスターを見て、いま本当にヤバいアニメの最先端はたぶんこっちなんだろうなと思ったりしました。

以下感想、例によってネタバレありなので観てない人は読んじゃダメですぜ。

2人が出会うことを、観客が望んでいた。それがもう答えだろう。 (★4)

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