曙、K-1へ

オレは曙が心配だ。プロレスに転進したかつての力士たちとは話が違う。プロレスには「救済の論理」がある。いや、プロレスというよりもプロレスファンの心理として、敗者をただでは切り捨てない心理があるということだ。輪島も北尾も、なんだかんだ言いながらも結局はプロレスファンの記憶に残る存在になった。初っ端からケチのついた北尾なんか大ヒールになった後、最終的に大ベビーフェイスになった。長いスパンでプロレスを観ている連中は、どんなひどい選手でもいつしか許しきる優しさとだらしなさを持ち合わせている。
しかし曙の行く道は厳しい。彼がこれから飛びこむのは、強さや人間力を時として戦術やセコさが上回るえげつない世界なのだ。要するに曙の突っ張りを「よっしゃこい!」と待ち構えてくれるアナルの大きなやつなど、1人もいない世界である。誰もが、曙に何もさせずに勝つことを最短距離で狙ってくる。ショッパいくせにセコさだけは超一級品の、武蔵のようなやつが幅を利かせている世界なのだぞ。
オレは大相撲を継続して観ているファンではないが、力士がセコくない人々であることは知っている。それは相撲が非常に長い間、素人(大衆)の目に支えられてきたジャンルであることと無関係ではない。しかし、力士ならではのセコくないところがアダになった場面をオレはたくさん観てきた。北尾がルタ・リーブリに敗れた試合。ケンドー・ナガサキが無造作に挑んだバーリ・トゥード。アマチュア相撲のエマニュエル・ヤーブロウだって、バーリ・トゥードでタコ殴りにされてTKO負けになった試合があった。あんなパンチ全然効いていなかったのに。そして、強さよりもセコさが是であるとする試合は、いつもプロレスファンの心を傷つけてきた。
数試合やってみてダメだったら、K-1はためらいなく曙を捨てる。K-1ファン(K-1ファンなんてこの世にいるのか?)は曙のことなんかすぐ忘れるだろう。K-1ファンは、一生をかけて人間を見続けていく覚悟など持ち合わせていない。初戦の相手はボブ・サップ。はっきり言って、これが唯一最大のチャンスだ。セコさを絶賛勉強中のサップは、現在急速に本来の魅力を失いつつある選手だ。曙、サップを殺せ! ブッ殺せ! お前の未来は、そこにしかない。