テレビ東京「破壊王プロレスZERO-ONE」

帰宅後、録画しておいたZERO-ONE両国大会を観る。14日にオレが生観戦した大会である。川田が素晴らしい。
長州のブザマな姿を眺め、橋本のマイクを聞きながら、オレが考えていたのは猪木祭りのミルコ欠場のことだった。ミルコ欠場の真相は知らないが、例えばケガが原因だとして「ケガをしているから出ない」というのは確かに正しいんだろう。そりゃあベストのコンディションで試合したほうがいいに決まっている。先のことを考えたら当たり前だ。しかし、客は「今」ミルコを観たいんだよな。
ミルコにケガしてても出ろと言ってるのではない。ケガしてるなら出ないほうがいいと思う。しかしケガをしてても試合に出るプロレスという世界の「今」に向きあう感性、その純度の高さにやはりオレは感嘆するのだ。人間が「今」に殉じる姿をバカにしてはいけないと思った。長州はケガしてたから、両国では決着がつかなかった。では両国に意味がなかったのかというと、いや断じて意味があったのである。長州はケガしたまんまリングに上がり、大観衆に醜態を見せた。新日の現場監督時代には後楽園ホールの興行なんか出やしなかったあの長州が、レスラー人生の終わりにあたって再びケツの穴まで見せる覚悟を示した。それは長州嫌いのオレにも、よく判った。
藤田がPRIDEグランプリでケアーに勝ったあと、コールマン戦に出てきてすぐにタオル投入されたことがあったでしょう。あのときの「不戦敗でいいのにわざわざ出てくるな」という格闘技ファンの言い分にオレが感じた違和感は、どうもこのへんに原因がありそうだ。あれはプロレスラーの「見せる覚悟」が、感性の鈍い客には理解できなかっただけだったんだ。「不戦敗でいい」っていうのは、「ゲーム」の考えかたなんだよな。