街録

一日、街録。断る人が大半なので、とにかく数をこなす。見知らぬ怪しい男からいきなり声をかけられて、断るのは当然である。街録を断る人に、オレは悪感情は一切持っていない。持ちようがない。オレがその立場でも、たぶん断るだろうからだ。こういう仕事は分母をデカくする以外に方法はないのだ。声をかけまくるだけだ。
しかしこういう機会に街ゆく人々の生態を観察していると、オレはシャバの人々のあまりのゆるさに驚愕するのである。いったいお前らどんだけヒマなんだと。平日の新橋ゆえ、学生や子供はほとんどいない。今日オレが接したのは、スーツに身を固めたサラリーマンたちである。しかるに新橋駅前には古本市が開かれており、サラリーマンたちが昼間っから仕事もせずに古本を物色している。彼らが街録を断る理由の大半が「忙しいんで」である。いや、断るのは全然構わないんですが、あなたどう見ても忙しくないよ。その言葉は滑稽にしか聞こえない。こんなゆるい連中が日本を回している大人たちなのかと思うと、この国もそう長くないなと実感する。
定時に出社して、定時に帰る。時々サボる。オレの感覚では、それって中学や高校の頃で終わった生活だ。農耕民族は、全体で収穫できてれば多少ダメなやつでも生きていける。たぶん目の前を仕事が通り過ぎるのをやり過ごしていても、彼らはサラリーマンでいられるのだ。授業中寝てばかりいても高校生でいられた、あの頃のように。
しかし狩猟民族は結果を問われる。獲物を仕留めないと食えないのである。狩猟民族に不労所得はありえない。オレは大人になるというのは、狩猟民族になることだと思っていた。だから、新橋のサラリーマンたちのゆるさにびっくりしたのだ。少なくとも自営業の人間なら、これほど無自覚にゆるい姿をさらけ出すことはないと思うのだが。