「悪は存在しない」 そうかー?

地元のミニシアター、ホールソレイユで「悪は存在しない」を観た。
この監督の映画は「ドライブ・マイ・カー」しか観たことはない。それも日本映画専門チャンネルの録画で観たものだ。シネスケの感想リンクはこちら。
CinemaScape/Comment: ドライブ・マイ・カー
ドライブマイカーみたいに3時間あったら観なかったが、2時間切ってるらしいので観に行った。ネタバレ注意だが、ネタバレとかそういう問題でもない気がする。

ちょっと長渕入ってるオヤジのニット帽

作り手の描く範囲内ではよくできてるし力のある変な映画とは思うが、好きかといえば全然好きじゃない。 (★3)


評論家ウケのいいある種の映画群にありがちな「手抜き」がこの映画にも横行しており、非常に気になるのだ。どっかでやってるシカ撃ちを銃声だけで処理とか気のきいた省略でもなんでもねえ、ただの手抜きだからね。ちゃんと東出昌大がシカをブチ殺して捌いてる血まみれのとこ撮りなさいよ。めんどくさいところは抽象化して済ませる態度をオレは激しく嫌うものだ。


学童は見せても小学校は見せない。しかし少女が小学校で過ごす時間は学童の数倍長い筈だ。それを描かない。学校を描くなら仕込むものは多いので、これも手抜きだと感じる。或いは少女は学校に行ってないのかもしれない。ランドセルもなく、いつも手ぶらで歩いてる。ならばこれは育児放棄、ネグレクトなのか。もしかしたら彼ら親子は人間でさえなくて、鬼太郎親子のようなゲゲゲの便利屋なのかもしれぬ。家の前に妖怪ポストあったっけ。ともあれわたくしはこういう情報を伏せまくってる信用ならないやつの話は一歩引いて、話半分に聞くことにしています。


最後の剥製まるだしシカとかギャグやろ。ちゃんと見せろや、と言いたいんだよな。見せてないもので何か語ろうと思うなよと。大雑把に言えばこの映画、人間社会のドラマを描いたうえで「自然」さまがお前らのそんなん知らんわと一撃喰らわす、というサメ映画みたいな構造だ。その「自然」さまの正体がシカの動かぬ剥製なのだ。こんな映画誉めてていいんですか、という気にもなります。それにしても映画に出てくる畏敬の対象としての自然の象徴、シカが多いな。パッと思いつくだけでも「脱出」、「スリー・ビルボード」、「もののけ姫」とか。たとえばクマだとすぐ生死の勝負になっちゃう(「レヴェナント:蘇えりし者」など)からなあ。


クソコンサルとクソ社長が登場する東京のくだりは面白くて、実際にこういう連中をたくさん見てきたからの解像度だろうと思われる。クソ社長の論理においては国からの補助金を得て会社を維持することだけが決定事項で、すべてはその結論からの逆算でしかない。グランピングにも長野県にもまったく関心がないが、最終的に補助金がおりれば成功というわけだ。斯様な「逆算」は映像や芸能の業界に蔓延している考え方で、そうする必要に迫られてのこととはいえ、これにウンザリする気持はよく判る。だって逆算って、順番おかしいもんな。ここでは監督の悪意が、映画を面白くしている。会議中にイス回転させて背を向けるあんな社長いないだろと思う真面目な人もいるかもしれない。いる。ゴロゴロいる。ああいうのが成功する業界もあるのよ。あんなのの下で理不尽ばかり言われて田舎で薪割りしたくなるのもあるあるよ。


終盤の展開は先日観た「ミツバチと私」(2023、西)に展開だけ似てて(子供が消えてみんなで探すが夜になる)、それはこないだ観たよと思って眠たくなった。とばっちりもいいところで、映画にもわたくしにも不運であった。