「無法松の一生」(1958年版)

無法松の一生 [DVD]

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三船、阪妻の足元にも及ばず。三船も大好きなのだが、全然ケタが違うと思った。
たぶんこの58年版の方が余程「よくできた」映画になってる筈なのだが、切られてズタズタの43年版の方がずっといい。いやもう、話にならんほどの圧倒的な差があるよ。ほぼ同じ作りなのに、この違いは何なのだろうか?
ある高い水準を超えてしまった映画には、「よくできてるからいい映画」という評し方じゃあもうダメなんだなと痛感した。観りゃ判るが、58年版だってほぼ完璧な、ほとんど最高の映画なんだぜ。ではこの差は何なのか、43年版のあの神がかりはいったい何だったのか、それはもう今のオレに説明できる範疇を超えている(だからCinemaScapeにも書けぬ)。ただこの58年版を観てみて、43年版の「脚本のここが素晴らしい」だの「ここの演出がすぐれている」だのと映画を分解して評していっても、43年版の本当の凄さにはまるで辿りつけないんだということが身にしみて判ったのだ。
たいていの場合はそれでうまくいくのだ。分類し、細切れにし、測定し、整理して、目録を作る。それが物事を理解するための有効な道のひとつであることは間違いない。しかし、それでは全然ダメな場合もある。決定的に届かない場合もある。43年版「無法松の一生」は、そういう映画だ。
たぶん花を分解してバラバラにして細胞を顕微鏡で調べ尽くしても、その花がなぜ美しいかを理解することにはならないんだ。ではいったい、オレはどうすりゃいいのだろう。