まだら狼の近況

以下の記事は2002年8月4日、読売新聞の西部朝刊に掲載されたもの。以前調べものをしていて発見しコピーをとっていたのだ。今回のマサ斎藤の件で思い出したので、全文引用する。著作権がまずかったら謝ります。

悪役の誇り胸にリハビリ 交通事故から6年 講演で健康説く
額には、現役時代の傷が今も残る。リングでは、アントニオ猪木と激しい「抗争」を展開。タイガー・ジェット・シンとのコンビは凶悪そのもので、ヒール(悪役)の魅力にあふれていた。元プロレスラーの上田馬之助(本名・裕司)さん(62)。現在、熊本市内で車いす生活を送っている。「人間は健康が一番大事。健康であれば何でも出来る」という言葉が重い。

一九九六年三月十六日、埼玉県岩槻市東北自動車道。巡業から帰る途中のワゴン車に、大型トラックが追突してきた。運転手は死亡、馬之助さんも生死の境をさまよった。脊髄(せきずい)を損傷し、胸から下は完全にまひ。両腕は激しく痛んだ。「物音さえ傷に響く。風が当たっても痛い」。寝たきりの生活は一年四か月続いた。

「この人がいなければ私は生きていけない」と、馬之助さんは妻の恵美子さん(63)に視線を向けた。どちらも再婚。恵美子さんが経営していた熊本市内のスナックで知り合った。三年前の夏、アメリカにいる元妻と馬之助さんの離婚が成立して「二日か三日後」には籍を入れたという。

恵美子さんは昨年十二月の退院まで、毎日欠かさず病室に通った。痛みがひどい時、馬之助さんは「車いすごと(病院の五階から)落としてくれ」と悲鳴を上げた。医者がくれる睡眠薬を二人で相談してこっそりためたこともあった。

それでも、「世話を大変だと思ったことは一度もない」と笑う恵美子さん。馬之助さんも「元気なころと違って私がいつもそばにいるのがうれしいんだろう」と、にこやかに言う。

馬之助さんがリハビリにまじめに取り組むようになったきっかけは、自分より重い障害を持つ人の懸命な姿を見たことだった。「病院というリングで医者と闘う」と心に決めた。

医者が勧める電動車いすを断り、あえて手押しの車いすを選んだ。厚い手袋をはめた手を左右のハンドルに押しつけ、ゆっくりと回す。リハビリは、退院から半年が過ぎた今も続く。

事故に遭う直前は、小さな会場での仕事が多くなっていた。恵美子さんは「もう引退して」と懇願したが、「私にはプロレスしかない。お客を怒らせたり、怖がらせたりするのが面白くてやめられなかった」。

悪役はイメージが命だ。技を受けた時の痛さや悪役の怖さをどう客に伝えるか、鏡を見ながら表情を工夫した。子供にサインをねだられても無視。「本当は優しい」と悟られないためだった。

退院後、出演したテレビを見たファンから届いた激励の一つに「昔、会場で殴られました。頑張ってください」とあった。一流の悪役からだと、殴られたことも楽しい思い出になるのだろう。トレードマークのヒゲと金髪は今もそのまま。金髪にしていれば、すれ違う人も「馬之助」だとすぐ分かってくれる。

六月には労基署主催の会で事故後初めて講演。健康の大切さと交通事故の怖さを絞り出すような声で語り、約二百人の聴衆に感銘を与えた。講演などで人前に立つことはこれからも続けるつもりだ。

現役時代のパネルをバックにカメラを向けた。頼んだわけではないのに精いっぱい表情をゆがめ、悪役の顔になった。プロのレスラーとしての誇りが、今も馬之助さんを支えている。
文・岩永芳人