殴られマッハのセメント

桜井“マッハ”速人の件です。
新聞によってかなりテンションが違う。素人に殴られたマッハをヘタレとする茶化し記事もあれば、素人に手を出さなかったマッハを格闘家の鑑として賞賛するマジメな論調もある。オレは、そのどちらにも違和感を感じている。
昭和プロレスのセメント感覚では、道場破りに来た相手には一筆書かせたうえで有無を言わせず腕を折り、病院へ連れて行って治療費を立て替えてやって領収書をもらう。オレも、道場破りに対してはこれ以外ないだろうと思う。しかし今回は状況が違っていて、相手はマッハを知らなかった、向かい合っても格闘家と思われなかったという状況がある。相手に気づかれなかったマッハ… この時点でオレはちょっともの悲しい気分になるのだ。平成シューターのマッハは、昭和プロレスラーの異形の佇まいとは無縁だ。まあ、普通のお兄ちゃんに見えたのだろうな。
ではマッハはどうすればよかったのだろう。現代日本の格闘技界において、素人の腕をへし折って病院に連れて行って領収書をもらう格闘家は評価されるだろうか。たぶんされないだろう。昭和セメントでは時代の支持を得られぬからこそマッハは「素人には手を出さない」という極端な美学に殉じ、あえて殴らせるしかなかったのだ。イヤまあ現実的にはそれ以前に良識人であり道場主であるマッハに素人の腕を折る気はハナからなかったんだろうが、そんなマッハを格闘技界は「プロの鑑だ! イヤな役目をよく受けてくれた、オマエ男だよ!」と称えるしかなく、仕方ないからヤケクソ気味で褒めちぎっているように見えるのだ。
その一方で、世間は無責任な野次馬である。格闘家が素人に殴られた、ただその現象だけを面白がる。デイリーの「“マッハ”素人に「KO」されていた」という見出しなんかがまさにそうだ。勿論この場合そんなハシャギ方はいくらなんでも子供じみて幼く、不愉快でしかない。しかしマッハを称える業界の言葉は、世間の素人さんには届かないのだ。
結局オレには、マッハがどうすれば一番よかったのかが判らないのだ。この事件から美しきマッハ幻想を生み出す必殺の方程式が判らないのだ。今の時代は報道とネットで情報はジャジャ漏れだが、昭和のセメント幻想には「一筆書かせ」「腕を折り」「病院まで連れて行き」「治療費を立て替え」「領収書をもらう」これらの過程の中に見事なる「口封じ」の思想が生きていた。だから実際に腕を折られた道場破りの人なんかオレは1人も知らないし見たこともないけれど、無邪気にそのセメント幻想の中にいられたんだ。そう考えれば、今回の事件はそもそも明るみに出るべきではなかった。事実、加害者の素人が逮捕された(警察が介入した)時点からこの件はいっせいに報道されたのだ。昭和プロレスラーではないマッハに「アクシデントを利用して自分を持ち上げる」したたかさを求めるのが酷なのも重々判ってはいるが、せめてもうちょっと夢のある事件、ロマンあふれるエピソードに仕立てあげてほしかった。そう、たとえるならばこの事件のようにな!

(2003/01/17 朝日新聞東京版)
昨年引退のプロレスラー、元剛竜馬がひったくり容疑 新宿/東京
15日午後6時25分ごろ、新宿区新宿3丁目のJR新宿駅西口切符売り場で、千葉県浦安市の主婦(69)が財布を手提げかばんに入れようとしたところ、近くにいた男に財布を奪い取られた。男は逃げたが近くにいた会社員(41)ら3人が約50メートル追跡して取り押さえ、警視庁新宿署員に窃盗の疑いで逮捕された。
男は、神奈川県××町××3丁目、会社員×××容疑者(46)。「剛竜馬」のリングネームで活躍、02年に引退した元プロレスラー。「財布が落ちていたので拾って渡そうとしただけ」と容疑を否認しているという。

ごめんなさいオレが悪かった。マッハさんは男の中の男だよ…