「グエムル 漢江の怪物」の感想

グエムル-漢江の怪物-(スマイルBEST) [DVD]

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深夜までCinemaScapeに投稿する「グエムル」のコメントを書く。あれもこれもそれもぜーんぶ棚に上げて、偉そうなことばっかり書いちまった。この棚は近々オレの頭上に落ちてくるね、もう間違いない。
久しぶりに長い文章を書いた陶酔と、自己嫌悪が混ざりあって妙な気分だ。せっかくだからこちらにも載せてみよう。ちなみに5段階評価で3点です。
以下の文章は「グエムル 漢江の怪物」の激烈なネタバレを多数含みます。未見の方は御用心を。

★3 初登場時の大暴れは素晴らしかったのに、あとが非常によろしくなかったのだ。

自分は特に怪獣映画について偏狭な思い入れのある人間で、この映画について公平で客観的な評価はできそうもない。言い訳がましいが、以下のクソ長い文章が偏狭な人間の書いた文章であることを鑑みて、どうか話半分ぐらいに受けとっていただきたい。

素人さんにこの映画どうなのと聞かれれば、面白いから観てみるといいですよと薦めるだろう。これは嘘ではない。自分と同程度かそれ以上の怪獣映画オタクに同じ事を聞かれても、観たほうがいいと答えると思う。これも嘘ではないが、しかしそれは決してこの映画がただ面白いからだけではなく、以下に書くようなことを話しあいたいからである。

この映画を観た後、自分の中にふたつの相反する感情が生まれている。「素晴らしい、本当によくやった」という賛辞と、「これじゃ全然ダメなんだ」という否定だ。そしてどちらが大きいかといえば後者である。自分の中に残った最後の公平性をここで吐き出すなら、このように賛否両論を巻き起こす作品にはほとんど例外なく価値があるものだ。「グエムル 漢江の怪物」が、力ある見事な作品であることに間違いはない。

怪獣の初登場と、それに続く大暴れは実に素晴らしかった。「怪獣が本当に現れたらどうなるだろう」という我々人類の夢をまざまざと見せてくれた。これについては完全に脱帽で、ただただ褒めるばかりである。ファック! 正直濡れたわ!

しかし、この映画で頻発する現代韓国の体制や風俗への批判めいた視線に、自分は何の意義も見いだせなかった。アメリカだの軍だの政府だの病院だのマスコミだのデモ隊だの家族だのに対する数々のハンチクないちびり、ズバリ言ってオレはそんなつまらない話を見たかったわけではない。そうだ、これはハッキリさせておいたほうがいい。そんな小さい話はつまらないのだ。描くに値しないのだ、こと怪獣が登場する映画においては! そんなのは、怪獣を描きたくても描く根性のない普通の監督が仕方ないから作ってる普通の映画にやらせとけばいいんだ。

「怪獣」という巨大な嘘を中心に据えた怪獣映画というジャンルは、世間一般には荒唐無稽な絵空事と見做される。怪獣映画を夢中で観てるようなやつは子供騙しに騙されるガキか現実逃避したがるオタクであるとされる。わたくし思うにこれ大いなる錯誤で、お面かぶってるから能はシリアスではない、男が女を演じるから歌舞伎には真実味がないというような物言いと大差ない。

怪獣映画とは(広く「SFとは」と言い換えてもいい)、普通なら飲めないような巨大な嘘を観客に飲ませることで、普通なら辿り着けないような地点まで観客を連れていき、普通なら見ることの叶わぬ風景や世界を体験させるジャンルである。そうまでしてこそ、はじめて見えてくるものがあるからだ。だったらそれを見にいこうという話で、一方でそれができてる怪獣映画がどんだけあるんだよという厳しい現実もあるのだがまあそれはそれとして、ジャンルの志としてはつまりそういうことだ。そのフィクションの大海原に一歩踏み出す冒険心を持たない坊ちゃん嬢ちゃんたちは、ハナから怪獣なんか出てこない普通の映画でも観て小さな小さな嘘を飲み込んでいればよろしい。当たり前だがそこにも価値あるものはいくらでも存在するし、怪獣映画がそれ以外の映画より偉いなんてことは一切ない。しかし、怪獣映画が特別なジャンルであることもまた確かだ。なぜだか判りますか。怪獣が出てくるからですよ。驚いたねどうも。

冒頭、米軍の科学者と韓国人助手がホルムアルデヒドを下水に流す場面がある。実際に韓国では在韓米軍が大量のホルムアルデヒドを漢江に垂れ流した事件が2000年にあったらしく、韓国人の観客がこの場面を見れば当然事件を思い出して反米感情を刺激されるのであろう。また投棄に反対していた韓国人助手が結局は唯々諾々と従う姿に、アメリカに対して無力な自国の政府を連想して義憤に駆られるやもしれぬ。

しかしちょっと待ってくれ。怪獣が生まれたのは本当にホルムアルデヒドが原因なのか。映画はいかにもホルムアルデヒドが原因であるかのように年代表記のテロップを入れつつ、釣り人が小さな奇形魚を発見する場面へと続いていく。しかしホルムアルデヒドと怪獣の因果関係を、映画は全然ちゃんと描いていない。「原因であるかのように見える」だけだ。これで納得しろというのか。それって「ホルムアルデヒドによって怪獣が生まれたのだ」とはっきり言いきる勇気がないだけじゃないのか。確かに怪獣映画において怪獣誕生の原因をはっきり描くこと、これはなかなか簡単なことではない。なぜなら安易な原因はダサさに直結するからで、たとえば放射能が原因で生まれた怪獣、巨大アリ、巨大ワニ、巨大昆虫、巨大『戦慄!プルトニウム人間 [VHS]』が過去にどれほどいたことか。とりあえず放射能浴びせとけばいいんだよとばかりに一時期量産されたこれらの怪獣映画たち、そりゃすぐれた映画もあるにはあったがダメな映画も多かったよ。しかし記憶に新しい事件を引き合いに出して社会的な告発をするフリ(あくまでフリ)をして、とりあえずこの場面では観客が現実のホルムアルデヒド投棄事件を思い出してそれが物語の弱点を隠す目くらましになればいいやという「グエムル」のこの態度、オレは好きになれない。そしてこの「社会性を盾に作劇の困難を回避する」態度は、これ以降もしばしば垣間見えることになる。

しかしねえ、怪獣映画とカンフー映画ばかり観て育ったスーパーエリートであるオレ様ちゃんから言わせれば、現実のホルムアルデヒド投棄事件よりも巨大怪獣誕生の原因のほうが圧倒的に重要なのだ。これはどう考えても、比較にならないほど重要だ。たとえばケネディ暗殺もそりゃ大事件かもしれんが、あんなもん長い人類の歴史の中では大して重要な話ではない。しかしアポロ11号で人類が月面に到達したのは、間違いなく人類史10大ニュースの上位にランクインする大事件だ。こんなのは常識であって、だから漢江に現れた怪獣の出自の重要性に比べれば、言うちゃ悪いけど韓国民の反米感情なんぞまったくどうでもいいことなんだよな。「首が飛ぶっつうのに、ヒゲの心配してどうするだ」って「七人の侍」の長老も言ってたよ。

冒頭で生まれたこの不信感は最後まで消えることがなく、むしろ増大していく。つまり「この映画は怪獣の存在をどこまで信じているのか」という疑惑である。

いちいち例を挙げていけばキリがないが、たとえばさらわれた少女が隠れる下水溝の狭い横穴、あの奥は暗くなっていてよく判らないようになっている。しかし、あの奥がどうなっているかという描写は絶対に必要だった。例えば鉄格子がはまっていて進めなかったとかなんとか、数秒でもいい、絶対に必要だった。この映画の中でも下水溝のシーンはおおむねよくできていたのに、絶対不可欠な描写を欠いたために大きく説得力を失っている。あれ、この子は本当に助かりたいのかなとさえ思ってしまった。そんなこと思いたくもないのに。

また、米軍の化学兵器である黄色いガスの扱いもひどくいいかげんだ。あれを吸ったやつが血を吐いて倒れる描写があったからたぶん猛毒なんだろうが、ガスの中で動き続けた一家は全員平気なように見えた。ラストシーンでは、少なくともソン・ガンホと浮浪児は無事に生き残っていることが示される。そのことに何の説明もない。ここにきてオレはもういいかげんイヤになっちまった。ファック! そんなんじゃ濡れねえんだよ!

こんな野暮なツッコミは、オレだって書きたくないのだ。しかしどうか判っていただきたい、ツッコミを入れているオレがヤボテンなのではなく、そもそも「グエムル」がこれら最低限の辻褄合わせさえできてないのが悪いのである。世の大多数の方々は、怪獣が出てくるような映画なんだから多少の矛盾やおかしな部分には目をつぶればいいのにと思われるかもしれぬが、それは違う。怪獣が出てくるような映画だからこそ、観ていて普通に気になるこれらの脇の甘さは許されないのである。その甘さは、怪獣の実在感を確実に殺してゆくのだ。もし辻褄を合わせて説明した途端にダサくなるのであれば、それはもうダサい映画なのだ。ならば映画は、そのダサさを引き受けなければならないのだ。この映画の説明不足の大部分は、よく言われる「あえて定型を外している」といったものではなく「定型さえこなせていない」ことによるものだ。ついでに言えばシリアスな場面でギャグがある、登場人物が肝心なところでヘマをするといった定型外しの演出も、こう連発しては裏切りとして機能しない。それは「必ず裏切る」という新たな定型であって、終盤にはあーどうせ火炎瓶はミスるんだろうなーなどと思い、むしろ物語への没入を妨げる邪魔にしかなっていなかった。このへんのサジ加減も失敗していると言わざるをえない。

せっかく怪獣映画を一家族の視点から描くという面白いスタイルをとっているのに、家族を取り巻く大状況は描ききれず、描ききれないばかりか「そっちは描かないからいいんだよ」とばかりに後半は開き直った御都合主義が横行する。あーもうこんなもんじゃ誤魔化されねえんですよ。上岡龍太郎にはダマされねえんですよ。結局のところ、怪獣はチャチな社会風刺の道具でしかなかったのだろうか。しかしそれなら、怪獣が初登場して白昼の河原で大暴れするあの場面の本気っぷりはいったい何だったのか。間違いなく、あの場面は生半可な覚悟で撮れるものではなかった。オレとてあの場面に上記のような疑いは一切持っていない。だからこの映画をダメだと思いつつも、あのグエムルの大暴れは脳裏に焼きついて今もオレをぎりぎりと苛んで鮮やかだ。それは「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 [DVD]」の渋谷大虐殺のように、「プライベート・ライアン [DVD]」のノルマンディー大虐殺のように(全部大虐殺かよ)。