「悪い奴ほどよく眠る」

悪い奴ほどよく眠る [DVD]

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ジョーさんのド凄い記事 id:Joetip:20061121 に触発され、久々に黒澤明「悪い奴ほどよく眠る」を観た。ウヒョー面白いなあ。
白井(西村晃)が殺し屋(田中邦衛!)に襲われたところを、西(三船敏郎)が車でさらう。白井が助手席から後ろを振り返ると、死んだ筈の和田(藤原釜足)がいて驚くという場面。ここが実に面白かった。

完全に後ろを向いて驚く白井。のちの水戸黄門徳川光圀である。
後部座席に座っている和田の後頭部ナメで撮っているので、カメラはほとんどリアウィンドウの位置だ。走行中の背景はスクリーンプロセス処理。また、画面左上のバックミラーに西の顔がビシッと映っている。黒澤映画はこういうところがカッコいいんだよな。

ビビった白井、助手席で身を縮めていく。

なんともしれん表情で白井を見つめる和田。

白井、すっかり縮こまってしまう。

さて、オレがこの映画をはじめて見たのは高校生の頃だった。その時は何も考えずに観ていたこの場面だが、今のオレは仕事で車を転がす機会も少なからずある。今回気づいたことは2つで、くだらない方から書くと「左ハンドルってことはこれ外車なんだなー」ということ。外車カッコいい。
もうひとつは、助手席で後ろ向きになってこれほどまでに身を縮めてしまうという芝居への引っかかりだ。だってこんな体勢、オレにはとれないよ。そもそもオレは無駄にデカいので、どちらかといえば車の座席を窮屈に感じている人間なのだ。これってリアルな芝居とは言えないんじゃないかしらん。
ひとつ考えられる言い訳は、この時代(1960年)の日本人は今よりも小さく、外車は今よりもデカかったのではないかということだ。まして白井を演じた西村晃は、助さん格さんとの身長比較から言っても比較的小男の部類に入る筈だ。また優秀な日本車が世界市場を席巻する前のこの時代、外車は総じてデカかったと推測される。肉もりもり食ってるデカい外人がゆったり座れるサイズの外車に、当時の日本人の平均体格を下回る小男が乗れば、助手席で体ごと後ろを向くぐらいのことはできたのかもしれない。

しかしこの場面がたとえ不自然なものだとしても、「黒澤明はちゃんと撮ってるんだなあ」とオレは感心するのだ。上記のオレの引っかかりは、現代の車と現代の日本人の体格を前提にした現代のリアリズムに、この場面が合致しなかったことによるものだ。当時はこれがリアリズムとして通用したのかもしれないし、しなかったのかもしれない。

しかし通用しなかったとしても、黒澤がこういう芝居をつけたことそれ自体にオレは感心するのだ。「助手席で身を縮める白井」という芝居は、彼が感じているであろう驚き、恐怖、混乱を十全に表現しているからだ。これはリアリズムの先にある心情描写で、早い話が「いいんだよ細かいことは。この方が感じ出るだろ?」ということだ。

そう思うのは、たぶんこの場面はわざわざ車をバラして撮ってあるからだ。実証はできないのでちょっと弱いのだが、画面を見て判断するに和田の後頭部ナメのカット、たぶんリアウィンドウより後ろの部分(和田とカメラの間の空間)がない状態で撮っている。和田と白井それぞれのワンショットも、車の内部からではなくもうちょい遠くから撮っている。つまりこの車はただ1台の車ではなく、撮りやすいように自由にバラせる部屋なんかのセットと同じ状態になっていると思われるのだ。スクリーンプロセスの前に普通の外車を1台用意しただけでは、この場面は撮れないと思う。
つまり黒澤は「この方が感じ出るだろ?」のために外車を1台バラしちまったとオレは思っているのだ。これが「ちゃんと撮ってるなあ」とオレが感心した理由で、これはもう助手席の寸法的に正しいとか間違ってるとかではない、リアル(現実感)の向こう側にある「リアリティー(真実味)」をしっかと見据えての演出なのであった。まーなかなかどうしてバカにできない、面白い映画でしたぜ。