今ごろ「アナと雪の女王」

アナと雪の女王 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]

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今ごろになって「アナと雪の女王」をBD鑑賞。この映画が日本でヒットしたのは2014年で、もう5年前のことだ。オレは昔から今に至るまでディズニー映画がおおむね嫌いで、この映画にもあまり関心がなかった。ヒットした主題歌が街やメディアで流れるたび、なんとなくわずらわしく思っていた程度だ。それでも5年経ちヒットの熱も世間から冷めてきたこの頃合いで、ちょっとしたきっかけもあって観てみた次第。自分には、これぐらいの距離感がディズニーとは必要なのだと思っている。

性 (★3)


慕っていた姉と生き別れになり、十数年ぶりに再会できるその日に姉のことなど念頭になく、「運命の人」を探し回る妹。唐突に出会った田舎王子を逆ナン。色を知る年齢(とし)か! 十数年幽閉され青春を奪われた姉に向かって、何不自由なく生きてきた妹が「こんな暮らしはイヤ」とか普通に言ってのける。彼女の言動は完全にサイコパスで、能力によって怪物と化す姉以上に深刻な問題を抱えた存在として描かれている。雪ダルマに「君は本当に愛を分かってない」と言われる場面があることからも明らかだ。勿論、ディズニーは登場人物をあからさまなサイコパスとして描いたりはしない(これをナチュラルにやるのは米林宏昌監督作品だ)。厳重にオブラートに包んだうえで、ハチミツをぶちまけてお出しするのがディズニー伝統の品質管理だ。


この映画で最も気合いが入っているシーンはなぜか前半にあり、姉が山に氷の城を建てるくだりだ。レリゴーのやつです、レリゴーのやつ。能力を縛る手袋、玉座に縛る王冠、寒さを防ぐマントを次々と捨てさり、それらに一瞥もくれぬ姉。容赦なき攻撃性を纏い、我々に対して叩きつけるようにドアを閉じる。能力を振るうことにもはやためらいはなく、女王を辞め国を捨てる決意、さらには人間をやめ魔女となって世界を拒絶する覚悟を十全に表現しており圧巻だ。歌以上に、映像(芝居)で表現している場面なのである。姉は新たに氷のドレスとマントを纏う。これってアメコミにおける「怪人(ヴィラン)」の誕生なんだよな。シュワルツェネッガーのミスター・フリーズよりイケてるぜ。言うまでもなく有名な日本語詞の「ありのままに」は悪意ある誤訳であって、let it go は「もうええねん」みたいな感じなのだ。ゆえに日本語吹き替え版では、この場面の表現する絶望、覚悟、それがもたらす解放といったニュアンスは全滅しており極めてしょうもない。OLの自己実現の歌じゃねえんだよな。


タイトル「frozen」とは「凍った」ってことだが、他の意味もある。「冷淡な、冷酷な」「身動きできない、すくんだ」「固定化した、凍結した」など。ちょっと変化させた「frigid」では「不感症の」となる。不感症、勿論これは医学用語でさえなくて、性的な問題を示す古くさい言葉だ。しかしこの映画の核を表現する言葉でもあると思う。ホットなセックスから最も遠い場所にいる、冷たい女のイメージ。色を知る妹とは対照的に、姉はセックスと無縁の存在だ。男性を愛するかもしれぬ兆候すら見られない。性への嫌悪というよりも、性に無関心なように見える。しかし昔むかしの王家の姫なんて、結婚することと子供を作ることが仕事だった筈だ。男性を愛せない姉が、女王の義務として結婚し、夫とセックスして子を産まねばならない。これは耐え難いことだろうな。「オレは人間をやめるぞ! ジョジョーッ!」となってしまうわけだよ。一方でサイコパスではあるものの惚れっぽい妹は子を産むことに抵抗なさそうで、国家の「望ましい女王」像に近い。対照的な姉妹の性にまつわる相克が、この映画の中心的なテーマであることは疑いようがない。


それなのになんだこれは。映画はこれら深刻なテーマを放り出して極めていいかげんな、嘘まみれのハッピーエンドで締めくくられる。姉を出戻りさせるにあたって、彼女がヴィランとなるあの場面を超える熱量を示した者はいない。問題は依然あるのにまるで何かが解決したかのような、どいつもこいつもニコニコ顔。台無しにも程がある。とりわけ、怪物問題がぞんざいに扱われることは耐え難い。オレが不思議なのは、毎度こんなグダグダ映画ばかり作っててディズニーのスタッフたちは欲求不満にならないのか、ということだ。レリゴーの場面で力尽きたのかもしれないな。