「エイラ 地上の旅人」の完結に立ち会う

「エイラ 地上の旅人」 日本語版公式サイト

ケーブ・ベアの一族 (上) エイラ 地上の旅人(1)

ケーブ・ベアの一族 (上) エイラ 地上の旅人(1)

大地の子エイラ―始原への旅だち 第1部 (上)

大地の子エイラ―始原への旅だち 第1部 (上)

あの「エイラ」全六部作が遂に完結! といっても、完結編の翻訳が出たのは昨年のことなのだが。

自分がはじめて評論社版の第一部「大地の子 エイラ」を読んだのは20代前半だったから、もう20年も前のことだ。3万5千年前の黒海周辺、旧人ネアンデルタール人の氏族に拾われた新人クロマニヨン人の少女エイラの苦難と文化衝突の物語だった。この第一部は明白に傑作で、誰が読んでもその面白さに悶絶して座りションベン漏らすこと請け合いである。当時オレも夢中になって読んだものだった。

以後も続くシリーズを読み進めていったのだが、面白さは徐々に減じていき、第一部の貯金を切り崩しているような感覚が拭えなかった。そして全六部作の構想だというシリーズは、第四部を最後に刊行が止まってしまった。翻訳の遅れではなく、作者の執筆がストップしてしまったのである。

10年くらい経って、すっかり忘れた頃に今度は集英社ホーム社が刊行を開始した。新たな完訳版として「エイラ」を第一部から完結まで刊行するという(評論社版は一部削除された抄訳だったのだ)。これを知った時も興奮したものだったが、新訳の第一部を読んでみてガッカリした。完訳なのは結構なことだと思うのだが、評論社版の訳文が素晴らしすぎた(訳:中村妙子)せいで、翻訳がドヘタに思えたのだ。こうなるともう、固有名詞の表記からして気に入らない。モグールじゃなくてモグウルだろ。イーザじゃなくてイザだろ。ケーブ・ベアじゃなくて洞穴熊、ケーブ・ライオンじゃなくて洞穴ライオンだろうが! などと要らぬストレスを抱える羽目になった。

で、その新訳版を改めて第一部から延々と読み続け、先日とうとう完結編の第六部を最後まで読み終わり、心から残念な気持ちになった。オレだって薄々判っていたんだ、例外的に第一部が奇跡的な傑作なだけで、あとは原始時代のハーレクインみたいな本だってことは。エイラは金髪碧眼の恋人とたびたび熱烈にモグワイいやまぐわい、縫い針や火打ち石、槍投げ器や動物の使役など人類史に残る革命的な発明発見を片っ端からひとりで成し遂げ、男女の性交が生命の誕生をもたらすという科学的事実にも勝手に到達する完璧超人だ。しかしそれにしたって、彼女が冒険してるうちは楽しく読めたんだ。それがなあ… 第五部第六部には冒険と呼べるものは何もなく、まさか、まさか、ただダンナの実家で小姑やご近所さんとうまくやれるかとか、地元の神社の巫女さんにスカウトされてしょうもない教義を延々学ぶみたいな話がだらだら長々と続くなんてなあ。オレは原始時代を生き抜くヒロインのロマンあふれる大河小説が読みたかったのであって、主婦の公園デビューだの原始宗教だのには興味ねえんだよ!

作者のジーン・アウルは40歳を過ぎて脱サラしてこのシリーズを書き始めたらドッカン売れちゃったという主婦であり、まーちょっと早かったハリポタ作者みたいなもんだ。シリーズ完結まで実に31年(1980〜2011)を要したわけで、普通に年くって体力落ちたんだろうな。第五部以降に過去作の振り返り部分がやたら増えたのは、婆ちゃんが同じことを何度も何度もモゴモゴ言うようなもんだ。

しかしそれでも曲がりなりにも一応完結させたのは偉いと、頭では思うのだ。絶対に終わらないシリーズを抱えたまま死ぬまで逃げきり、という夢枕獏パターンだって世の中には多いし、第四部のあと刊行が止まった時はオレもそう思って諦めていたのだから。…いや、実はそれもウソで、本音を言えばつまらない完結編を読むくらいなら、未完の大河小説として面白かったという鮮烈な記憶だけ抱えていたかったんだ。嗚呼、なにしろこの世はままならないことよ。エイラ、人生の一時期、確かにオレのヒロインだったエイラ。さよならだけが人生なのか。