「ワールド・ジュラシック」ならWJだったのに

ブルーレイで「ジュラシック・ワールド」。

「旧パークの恐竜は本物の恐竜だったが…」という台詞があって唖然とさせられる。(★3)
これはお話にならないほどあからさまな嘘だ。「ジュラシック・パーク」の恐竜はカエルのDNAで欠落を補完しており、ワニの未受精卵から孵化させている。オリジナルの恐竜では全然なくて、科学が「でっちあげた」恐竜なのだ。今作でハイブリッドと呼ばれる恐竜たちと、本質的には変わらない。これは単なる嘘科学の裏設定ではなく、作られた恐竜はカエルのDNAを持つがゆえに性別を変えて繁殖を可能にする。物語の根幹に関わる重要な設定なのだ。斯様な生命倫理の問題に踏み込んだからこそ、「ジュラシック・パーク」は売りであるCGが1993年製の骨董品であるにもかかわらず、2016年の今観ても充分に面白い映画なのである。

恐竜を見たいという純粋な夢と、それを実現させる科学の罪深さ、相反するテーマを同時に含む「ジュラシック・パーク」は、大人になりきれぬ古生物学者が子供を守りぬくことで一人前の男=父親として目覚めるというスピルバーグお馴染みのお題もよかったが、黒服の複雑系数学者がパークの欺瞞を指摘し続ける=生命を弄ぶ科学の罪を告発するという側面が実に素晴らしかったのである。これこそが、いつも同じ話ばかり書くマイケル・クライトン先生一世一代のいい仕事だったわけだ。

それがなんだなんだ、この映画には軍人とガキと大量のアホしか出てこねえ。観客に頭を使わせる気なんか全然ないのだ。画面はゴージャス、話はノーストレスで漫画ゴラクにもほどがある。そんなもん、超楽しいに決まってる。しかし「ジュラシック・パーク」における病気のトリケラトプスには胸打たれたのに、「ジュラシック・ワールド」における死にかけのアパトサウルスなんか出来そこないの作り物にしか見えない。ガキはハイテンションではしゃいだ直後にいきなりパパママ離婚しそうとか言い出して泣き出す始末で情緒不安定すぎる。翼竜が飛び放題なのに放ったらかしでハッピーエンド。大駄作「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」ほどはひどくないけど、それでもまーお前ら大概にせえよと言いたくもなるのだ。

しかしねえ、それでもねえ、ティラノサウルス先生のお出ましには、ハッとしてジュンときちゃったんだよなあ。でもティラノ出てきちゃったらしょうがないよなあ。