「JUNK HEAD」を観た

一昨日ufotableCINEMAで観た「JUNK HEAD」の感想です。申し訳ないが、ネタバレあるので映画を観てない人は読まないでください。読まなくていいので、この映画を観に行ってください。まだやってるところも多いでしょう。

イカの塩辛に感動しました (★5)


元ネタは「不思議惑星キン・ザ・ザ」、「プリンプリン物語」、弐瓶勉、H・R・ギーガー、ブルース・リー、他にもまだまだあるだろう。監督は同世代で(オレが1歳年下)、だいたい同じもん好きだったので判ります。面白いけどオリジナリティは薄いかなあ、なんて思いながら観ているうちに、劇中に何度も何度もある悪趣味でグロテスクな生物描写を見ていて不意にハッとして、殴られるような衝撃を受けた。登場する様々な生物の中でも最もザコである、イカの塩辛みたいな小さい気持ち悪いやつがいる。パンフレットによるとドラゴンクリッターという名前なのだが、そのキショい塩辛のことをオレはどこかで「いじらしい」と感じ、胸を締めつけられるような気分になったのだ。塩辛のキャラクターを「生きもの」と認め、生命そのもののいじらしさに胸を打たれたのである。ハッキリ言ってイカの塩辛に感動しましたなんて感想は、なかなか人には言いづらい。しかし自分がそう感じた理由は判っている。


塩辛をはじめとして、この映画のほとんどのキャラクターには目がない。それは目を表現するのが技術的に難しかったという制作側の事情と、ギーガーによるエイリアンのデザインからの影響だ。目がない生きものは、我々の世界にもたくさんいる。ミミズとかゾウリムシとか深海魚とか。連中にとっての人生や世界とは、いったいどのようなものだろうとオレは想像するのだ。目の前に食えるものがあっても判らないのだ。暗闇の中でのたくって動いて、どうにかして食いものに接触しなくてはならない。触れたらそれが何であっても食う。食えないものなら吐き出す。長く食えないと動けなくなる。動けないと死ぬ。なんという不確かな、偶然頼みの生命活動であろうか。それでも生命は生きようとする。当然バタバタ死んで死屍累々だ。多産だけが、か細く不確かな生命の糸を未来に繋げている。オレはのたくる塩辛に、生きようとする生命の原初の姿を見て感激したのだ。


モザイクをギャグとして使いながら排便シーンをしっかり見せたこと、捕食する/されるの関係が物語を駆動させていることからも、この映画に生命の営みを描くという意図があるのを自分は疑わない。様々なバリエーションのある多彩な生命体は、かなり厳密に設定がなされているのが伺える。普通は気分次第で思いつきの架空生物を脈絡なく登場させたっていいのだ、一般にコマ撮りアニメにはそういうものが多いし、それで辻褄がおかしいなんて誰も言わない。しかし監督は異常なクソ真面目さで設定し、丁寧にしつこく「生命」を描写して長編を作りきっている。


アニメーションの語源がラテン語の「アニマ」で、命のないものに命を与えて動かすことなのでアールなんてことは今や常識で、誰でも知ってることだ。しかし本当にそれができているアニメがどれだけあるだろうか。「JUNK HEAD」には、生命体がいっさい映らない100%つくりもののコマ撮りアニメによって、生命の鼓動を観客に感じさせてやるという野心があったのだろうと確信する。それは達成された。ハッキリ言ってこの映画はストーリーは面白いしギャグもアクションも満載で三バカも最高で、生命の実存なんか別に感じさせなくても満点のエンタメなのである。しかしそれだけでは満足できなかった堀貴秀という作家の名は、わたくしの脳裏に深く刻み込まれた。三部作の完成を楽しみにしています。