切実の外の世間 「由宇子の天秤」

松山に密航して「由宇子の天秤」。ハッキリ言っていい映画なので、皆さん観るとよいと思います。

追いこみかたが怖い由宇子さん

冒頭のプレビュー場面で心当たりがありすぎてゲロ吐きそうになった。力作です。 (★4)


冒頭でプレビュー(編集中のV内容をチェックすること)を観てる偉そうなおっさんはおそらく局Pで、皆さんご存じないかもしれないのでわたくしが天地神明に誓って証言すると、局Pというのは例外なくクソなんである。クソでなくては務まらぬ役職なので、いい人でも局Pになった途端にクソ化する。現場に行かず現場の切実さを理解してないので、この映画のように「取材対象のコメントを編集してまったく意味の違うコメントに改造する」ような非道を平気で指図することもある。彼の使命は他局に数字で勝つことであって、よきVを作ることではない。このような人間が意思決定の頂点にいる。一応言っておくと、局Pは現場を知らぬからこその視聴者目線でVの欠点を指摘し、番組の質を向上させる役割も担っている。しかしマーだいたいにおいてそうはならぬ。


主人公の女性D(瀧内公美)は制作会社の人間か、制作会社に草鞋を脱いだフリーランスで、二束三文で使い潰される立場だ。本業のうえに父の塾を手伝っているのは体力オバケとしか言いようがない。早死にするタイプの典型なので心配だ。現場にも立ちあう制作会社P(川瀬陽太)という存在もいる。制作会社Pもなかなかのクソである。途中、彼は局に入れるかもしれないようなことを言う。制作Pが局Pになればギャラは数倍。倍率ドンさらに倍なので彼も必死だ。しかしVがお蔵になったので出世話もパーだろう。ザマミロである。


由宇子さんが最前線で現実に翻弄され天秤ひっくりかえして苦悩しているのに、局Pはなんにも苦労せずに楽しい社内政治に明け暮れておるのだそうに決まっておるのだ。この映画は由宇子の作るVと由宇子の塾で起きる事件の入れ子構造を描いている。映画にフォーカスされた小さな空間はどこまでも切実だ。しかしその外に広がるのは膨大な無関心の海、掴みようのない「世間」という魔物である。局Pだって外部からの圧力、世間の影のひとつなんだ。この「外」の存在を示唆しているのが、この映画のいいところだと思うのです。

実にスリリングで面白く今年の実写日本映画の本命であろうが、かなりの貧乏映画でもある。エンドクレジットによるとクラウドファンディングも行なったようだ。せめて局関係の場面はええとこ借りてロケしてほしかった気がするが、そこらの貸し会議室みたいな場所で撮っていた。由宇子さんが持ち歩く三脚も少々ショボい。まったく世知辛いことであります。