珍さんのこと

先日亡くなられた神様カール・ゴッチを悼む声をよく聞く。新日本プロレスUWFを通して偶像としてのゴッチを崇め奉り、プロレスラー・ゴッチの実像にはほとんど生で接したことのない現代のプロレスファンたち(オレ含む)がこれほどまでに「ゴッチという概念」を愛していたという事実には、どこか安心し、また嬉しくなる。ゴッチは日本のプロレスの神であり、親であり、うるさい頑固親父であり、いつも気にかかるおじいちゃんでもあった。
さてゴッチ翁の訃報を知って数日経つが、なぜか今オレの心に去来するのは「現役最古参レスラー」ミスター珍に関する記憶だ。みっともない貧相な姿しか記憶にないが、しかしミスター珍は立派な「プロレスラー」だった。
プオタ少年のはしくれとしてミスター珍というレスラーの名前ぐらいは知っていたものの、オレは日本プロレス時代のことも国際プロレス時代のことも知らない。とっくの昔に消えていった日系ヒールレスラーのひとり、それもかなりの小物という認識しかなかった。
ミスター珍がオレの目の前に現在進行形の姿で現れたのは、1990年代だった。大仁田厚率いるFMWの巡業先に現れたミスター珍が、息子ぐらいの年齢である大仁田に土下座し、プロレスラーとしてリングにあげてくれと懇願してみせたのだ。
その時点で彼は第一級身体障害者の認定を受けており、定期的な人工透析を受けなければ死んでしまう体だった。大仁田も一度は拒絶したものの、結局ミスター珍FMWのリングで闘うことになる。
オレはFMWにおけるミスター珍の試合を、幾度か観た。ミスター珍の肉体は普通のおじいちゃんかそれ以下の貧相さで、とにかく滅法弱かった。いつも若手相手の第一試合で、手順もだいたい決まっていた。ゲタで殴りかかり、目潰しなどの反則攻撃でひるませ、ゆ〜とぴあばりのゴムパッチン攻撃で笑わせる。最後はいつも手加減したボディスラム一発でスリーカウントを取られる。すぐには起き上がれないミスター珍に、しかし会場の誰もが暖かい拍手を送っていたものだ。当時のFMWは場末のリングだったが、心ないスレた野次はほとんど聞いたことがない。自分で言うのもなんだが当時のFMWに集まるファンは妙に純情で、どこか痛いやつが多かった。我々はリングに上がって上記のような茶番を命がけでこなす珍さんを笑い、ハラハラし、尊敬し、愛した。
珍さん最後の現役生活は、体調次第のスポット参戦という形で1年か2年ほど続いた。その中にはポーゴ(シンだったかな)に殴られて失神→大仁田激怒、というストーリーの中心に絡む晴れ舞台もあった。そのうち深刻に体が悪くなった珍さんはリング上から姿を消し、そのまま死んでしまった。FMWは追悼のテンカウントゴングを鳴らし、工藤めぐみFMW女子選手たちは泣き崩れた。
オレだって多くのプオタ同様、カール・ゴッチへの尊敬と畏怖の念は持っている。だがオレにとって、ゴッチは教科書の中の偉人だった。オレが何を言おうと言うまいと、神様ゴッチの価値が揺らぐことはない。珍さんは違う。珍さんには、短いながらも同時代を確かに生きた記憶がオレ自身に刻まれている。同様に珍さんの記憶は、FMWで珍さんを観たファンたち、珍さんと肌を合わせた若手レスラーたちの中にも残っている。神様ゴッチと比べたら鼻クソみたいなレスラーだけど、珍さんは肉体が滅んだのちも、誰かの記憶になって生き続けている。思うに珍さんは自分が遠からず死ぬことを知っていて、死後も誰かの記憶の中で生き続けてやろうとしたのではないだろうか。珍さんがあの年齢と病状でなぜリングに上がらねばならなかったのか、オレにはそれ以外の理由が思いつかないんだ。