新日本プロレス レッスルキングダム3 in 東京ドーム

行ってきました東京ドーム。

今回、新日本のプロレスを観ていて思い出したことがある。それは昔のオレにとっては当たり前のことだったのに、いつの間にか忘れていたことだ。今日、ドームで思い出したのだ。思い出したきっかけは、ビジョンに流された大会スポンサー・フィールズのCMだ。
晦日Dynamite!!もフィールズ(パチンコ)だった。ハッスルは京楽(パチンコ)だった。戦極ドン・キホーテだった。いずれもDQNと非常に親和性の高い企業である。なんかやだなあ、などと考えていたらハッと気がついた。

プロレスは、DQNに支えられてきたジャンルである。そもそも昔のプロレスは一升瓶を抱えたオヤジが「寝技なんかウチに帰ってカカアとやれや!」などと怒鳴り、2階席の客は警備員の目を盗んで1階席に忍びこみ、ラッシャー木村には生卵をぶつけ、流血したブッチャーの頭に色紙を押しつけて血拓をとる。プロレス会場とは「その地区の頭の悪い人たち大集合」の場であり、だからこそ不思議な妖しい熱気があったのだ。

アメリカでは昔も今もずっとそうだった。プロレス会場で熱狂するのは決まって貧乏白人、貧乏黒人、貧乏メキシカンに貧乏プエルトリカンたちと相場が決まっていて、今もトレーラーハウスに住むレッドネック(白人DQN)は缶ビールを呷りながらテレビでWWEを観ている。

オレがこの基本的な常識を忘れたのは1990年代、狂乱の多団体時代だった。この時代に栄華を誇ったのはUWFとそこから派生した格闘プロレスであり、FMWに代表されるインディープロレス、対抗戦で大爆発した女子プロレスであった。それらの会場を埋めた大半の観客は、DQNではなくオタクたちだった。全員が週プロか週ゴンか週刊ファイトを熟読しており、活字プロレス文化を支えた。そのプオタ文化の狂い咲きの渦中に、オレもいた。

90年代に価値観が多様化したプロレス文化は一気に爛熟し、実って腐り、先細って衰退した。

今、再びプロレスを支えているのはDQNたちである。勿論オタクもいる(オレとか)。しかし、オタクの割合はかなり小さいと思われる。web上のプロレス考察で気を吐く親愛なるプオタもいるが、そもそもDQNたちはネットなんかやらない人が多いのだ。東京ドームのような大会場に行くと、ゴマンといる声なきDQNたちこそがプロレスを支えているのだと実感できます。

プロレス復興の鍵のひとつに、子供のファンを増やすべしという命題がある。この部分でもDQNは頑張っている。彼らは生めよ増やせよと昆虫のように繁殖し、愛するお子さんの髪型を健介カット、最近では棚橋カットにしてプロレス会場に連れてきてくれる。我々オタクときたらどうだ。中邑真輔にブツブツ文句を言うばっかりで、子供なんか作りゃしねえ。DQNは違う。ブログで観戦記なんか書くヒマがあったら、セックスして子供を作る。

新日本プロレスは、たぶん最も携帯電話サイトに力を入れている団体だ。DQNはパソコンはやらなくてもケイタイはいじる。DQNはパチンコも好きだ。だからパチンコ屋にスポンサードしてもらうのは、プロレス復興の道筋としては正しいのである。大晦日にボブ・サップがCRエヴァンゲリオンのTシャツを着ていたのだって正しかったのである。ちなみに今日、東京ドームにサップ来てたよ。飲み物を買いに売店へ行ったら、正面入り口あたりに立ってた。デカかったよ。握手してもらっちゃった。第37代IWGPヘビー級チャンピオン。