「デトロイト・メタル・シティ」 2巻

デトロイト・メタル・シティ (2) (JETS COMICS (271))

デトロイト・メタル・シティ (2) (JETS COMICS (271))

DMC」という漫画は対称的な異文化をものすごい勢いで行き来する青年・根岸くんの苦悩を描いて笑わせるギャグ漫画なのだけど、根底には至極まっとうな倫理感があって、それがあるから幅広い層に受けているのではないかと思う。この自分からしてそのクチで、オシャレポップにもデスメタルにも別に興味もなければ知識もない人間なのだがここで描かれる根岸くんの苦悩は理解できるし、理解できるから笑える。
オレにとってはこれ、「映画好き」の世界に置き換えればよく判る話なのだ。映画には「ヨーロッパ系単館オシャレ映画好き」というマーケットがあり(話を判りやすくするために単純化しています)、オレも10代の頃はどんなもんだろうと思ってちょっと齧ってみたがとりたてて面白いものではなかった記憶がある。オレが好んだジャンルは怪獣映画、カンフー映画、ホラー映画にエロ映画などで、ある時ふと気がついて愕然としたのだがなんとこれらの映画が三度の飯より大好きな我々は代官山オシャレ方面からバカにされている! ケーベツされている! ちくしょう何がゴダールだ何がヴェンダースだ今に見てろ、お前らいつか「悪魔のいけにえ」みたいに天井から吊るしてやる! 「ゾンビ」みたいに脳天撃ち抜いてやる! 行くぜヘリ坊や! 日本をインドにしてしまえ! そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。プロレスだったらねえ、新生UWFFMWW★INGも同時に矛盾なく愛せたんだけどねえ。
しかしオレもいいかげんオッサンになってきて流石にだんだん判ってきたのだが、これは昔っから世界の至るところで繰り返されてきた「異文化との摩擦が仮想敵を生む」現象である。それはスケールの大きい宗教戦争から、お好み焼きは大阪がうまいか広島がうまいか論争に至るまで、人類の歴史上あらゆる局面で起こってきたことだ。
上述の「ヨーロッパ系単館オシャレ映画」に限らずジャンル間に生まれる憎悪や侮蔑の実態は、実はあんまり大したもんではない。今だから判るのだがオレの場合は「あっちはなんか偉そう」「なんかいい匂いがする」「なんか権威っぽい」程度の劣等感であった。しかし当たり前の話だが、オシャレ映画にだってウンコ映画もあればREAL DEALもある。劣等感も敵意も感じる必要はないのだ。頭では理解していたこの事実を感覚的に実感できたのは、id:Dersu:20040125でも書いた柳下毅一郎さんの「アートフィルムの作り手たちはシネフィル相手のエクスプロイテーション映画を作っているのに他ならない」という指摘を読んだときだった。
結局オレは長い歳月をぐるりと経て、小学生の頃に読んだオレの生涯バイブル「私、プロレスの味方です (新風舎文庫)」(村松友視)に戻ってきたのだろう。村松さんの至言、「あらゆるジャンルに貴賎はない、されどジャンルの中には厳然として貴賎が存在する」である。親愛なるプロレス者の諸兄には説明するまでもないことだろう。
だからってオレ自身がホトケになったわけでは全然なくて、まあそういう「ものの見方」もありますわなーという話である。オレとてすべてのジャンル間憎悪に意味がないとは思わないし、対立概念にはジャンルとファンを成長させる面も確実にある。何より仮想敵を作って盛り上がるのは死ぬほど楽しいからねえ、これはなかなかやめられません。
さてそんな前提のもとに「DMC」を読むと、この漫画はデスメタルもオシャレポップも平等にバカにしている。2巻ではパンクだのラップだのも平等にバカにしている。バカにすること自体はギャグ漫画だから当然として、この漫画の倫理が信頼できるのはこの「平等」という部分だ。ジャンル間摩擦を描きつつも、どれにも肩入れすることなく公平に突き放して根岸くんの右往左往を笑う。この公平性に信頼があるから、時にギャグがすべっても構わず読めてしまうのである。普通はギャグ漫画でギャグがすべったら致命的なのだが、「DMC」には少々のギャグのすべりには左右されない見識があって、それが漫画の基礎体力になっている。これはやはり稀有な漫画だと思うのである。