昭和の巌流島が21世紀にもたらした新たなる名著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」

クソ忙しい中、寝る間を削って増田俊也さんの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んだ。ゴン格連載時からちょくちょく読んではおったのだが、単行本で通して読んでみるとこれはやはり堂々たる大著であり、今後柔道史・総合格闘技史を語る上での基準となるべき、極めて重要な書物であった。要するにクソ面白いのである。

柔道史に関して高専柔道大日本武徳会を大きくとりあげ、講道館中心史観を覆す柔道観を、総合格闘技隆盛の現代からの視点で提示しているのが素晴らしい。しかしこういうことを書いた本は他にもあって、たとえば真神博という人の書いた「ヘーシンクを育てた男」は武専出身の気骨あふれる柔道家、道上伯の生涯を描いて鮮やかだ。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が面白かったという人には、是非読んでほしい名著である。読んだ当時の感想がこれだ。

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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」における著者の木村政彦への思いは半端なものではなく、そりゃあもう、たいへんな情熱によって書かれている。ノンフィクションというジャンルにもいろいろなスタイルがあると思うが、オレが好きなノンフィクションは主観的なノンフィクションだ。客観性を保とうとしても、隠しきれぬ著者の思いが溢れ出てくるようなノンフィクションが好きだ。以前、競馬のノンフィクションを読んでそんなようなことを書いたことがある。
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これもそうだ。
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著者の増田さんは木村政彦に心底惚れぬいており、力道の汚いブック破りファッキンメーンとばかりにぐいぐい読ませてゆくのだが、長きにわたる取材と執筆の間にはいろいろあって、増田さんが激しく動揺し、心がぐらつくような場面もある。それを隠さず書いてくれている。これはですね、まあいい年なさったダンディーな作家さんを捕まえてこういうこと書くのもためらわれるんだけど、正直言って非常に萌えるんですね。もう興奮するわけですよ。

オレはプロレス生まれプロレス育ちのプオタである。力道山の時代を生きたわけではないが、オレにとっての力道山は神話の登場人物として憧れと畏れの対象だ。昭和の巌流島決戦の顛末も一応は理解しているが、約束をまともに信じた木村政彦の真面目さよりも、万に一つのチャンスをなりふり構わず掴みにいった力道のピカレスクに強く惹かれる(ごめんなさい)。それから、残されているこの試合の白黒フィルムを見るたびに思ってたんだが、素人目にはどう見ても力道山の方が強そうなんだよなあ。体格、肉体の張り、気力の充実… 「あれはプロレスだから」ではすまされぬ差があったように思うのだ。勿論前提として、当時30歳でバリバリだった力道山と、いくら強かったとはいえ肉体は下り坂だった筈の37歳の木村の違いは当然あるのだが。

それからわたくし、ワケあって某所で力道山の古い資料映像を見たことがあるのだ。それは「力道山・練習風景」とそっけなく題された白黒フィルムで、ダンベルでも上げてんのかなと思って見てみたところ、リングの上で若手選手の素早いタックルを切ってガブった力道山がそのまま4点ポジションの若手にガンガン膝をブチこんでおり、なんじゃこれはと仰天したのだ。力道山マーク・ケアーに勝った時の藤田和之より強そうだったよ。

歴史にもしは禁物なんだが、もし増田さんの願望通りに、木村が力道山のブック破りに迅速に対応し(要するに即ギレして)リキを叩きのめしていたらどうだっただろう。オレはそっちの昭和史は、あまり考えたくないのである。力道山は唯一無二のプロレスの天才であり、彼の才能無くして日本にプロレスは花開かなかったと思うのだ。あの試合で力道山がボロ負けしていたら、猪木も馬場もクソもないのである。

そしてこの素晴らしい本を読ませてもらったわたくしには、どうしても書いておかねばならないことがある。著者の増田さんは本の中では触れていなかったので、ご存知かどうかは判らない。言いにくいのだけど、それは我らが英雄・力道山が、道義的にはブック破りよりもひどいと思われることをその3年後にやらかしているという事実だ。

それは、力道山が出演した1957年の劇映画「純情部隊」の存在である。

手前味噌だが、CinemaScapeに投稿したレビューを引用する。

「昭和の巌流島」の影(★4)


力道山をはじめとする、往時の人気者たちが演じる友情物語。明朗なる人情映画として見事に成立しており、まったく退屈させないマキノ雅弘の職人ぶりには感心しきり。また戦時には角界で稽古に励んでいた力道山が、戦地にこそ赴かぬものの日本軍の新兵を演じている姿は、彼の出自を考えるとなんだか不思議な気分になる。いったい、リキはどんな心境で日本軍の兵隊を演じたのだろうか。


しかし最もオレの心を捉えたのは映画の後半、力道山が仲間たちの勧めを受けてプロレスラーになってからの展開であった。以下に書くことはもはや映画の批評でもなんでもないが勘弁されたい。


プロレスラーになった力道山二等兵仲間の応援を受け、新兵時代にさんざん殴られた岩本軍曹との闘いに挑む。駿河海演じる岩本軍曹は、柔道七段との触れ込みだ。岩本軍曹と力道山の試合は、日本選手権試合として行なわれる。「力道山が」「柔道家と」「日本選手権を賭けて闘う」 …賢明なるプヲタ諸兄にはお判りであろう、この試合のモデルは間違いなく1954年12月22日、蔵前国技館で行なわれた力道山木村政彦の日本選手権試合である。軍曹の七段という段位は、「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」とうたわれた不世出の柔道家木村政彦七段と同じ段位なのだ。


軍曹の挑戦を受けてリキは言う、「八百長なんかやらん! リングに上がれば真剣勝負だ」。これは心優しき光田(力道山の役名)には似つかわしくないセリフである。もう断言してしまいたいのだが、これはプロレスラー力道山本人の言葉なのだ。凄惨な幕切れとなった木村七段との決戦はこの映画の僅か3年前、大衆の記憶も生々しかった頃である。力道山はあの日本選手権試合を、銀幕の中の主人公として、勝者の立場から歴史を語り直した(でっちあげた)のだ。


実際にはこの試合、力道山が一方的に八百長破りを敢行し、あっという間に木村をKOしてしまったのだ。それを平気な顔して「八百長なんかやらん」とは… 有体に言って盗人猛々しいにも程があるのだが、映画を観た大衆は木村のシュートの強さを忘れ、英雄力道山物語を讃えたのであろう。この恐るべきプロ根性、容赦なき攻撃性に、オレは体が震えるほど感動するのだ。死者にムチ打つ力道山ナチスよりひどい。この映画を、木村政彦七段はどんな気持ちで観たのだろうか。いやまず観ちゃいないだろうが、それでも風聞に評判を漏れ聞いたとしたら、その心中、その無念は察するに余りある。


この映画は「戦後最大のスーパースター」などという通りいっぺんの言説ではとても語り尽くせぬ「力道山」という凄玉、その過激な輪郭を示す時代の証言なのだ。力道山と同時代を生きることができなかったオレは、またしても巨大な敗北感の中で、彼への憧憬に胸を焦がすのみである。

心優しき力道山が柔道七段の悪役をやっつけてハッピーエンドのこの映画、VHSならまだ新宿ツタヤにあるかもしれない。監督は名匠・マキノ雅弘。映画としちゃあ、よくできた楽しいゴラク映画なのである。しかしわたくし、「これは刺されても仕方ないよな」とも思いました。わたくしが憧れてやまないプロレスの父、力道山はこのような男である。常識では考えられないスケールのピカロ(悪党)だ。それでも太陽のような笑顔の力道山が、オレはどうしようもなく好きだ。ホントにすみません。勘弁してください。