本当の話をしよう 「若おかみは小学生!」

立川で映画版「若おかみは小学生!」を観てきた。これは原作は児童文学のヒットシリーズで、20巻も刊行されているらしい。オレは知らなかった。このアニメの存在を知ったのは、あの児童文学がテレビアニメ化&映画化されますよ、というネットニュースだった。公式サイトを見て、映画版の監督が高坂希太郎であると知った。中編「茄子 アンダルシアの夏」などの監督で、自身も自転車乗りで、何よりも凄腕のアニメーターである。フーンと思いながら公式サイトの監督コメントを読んでみて、そこではじめてギョギョギョとなったのだ。

この映画の要諦は「自分探し」という、自我が肥大化した挙句の迷妄期の話では無く、その先にある「滅私」或いは仏教の「人の形成は五蘊の関係性に依る」、マルクスの言う「上部構造は(人の意識)は下部構造(その時の社会)が創る」を如何に描くかにある。
(監督コメント抜粋)

「おお!ことばの意味はわからんがとにかくすごい自信だ!」ではないが、監督のこの異常な本気、要するに狂気に、強く惹かれたのであった。

テレビ版「若おかみは小学生!」も観ているが、充分に良質なアニメである。そして予告などで観る映画版の映像はグッと密度が濃く、よく動く緻密で精妙な作画が印象的だった。オレはここに「本物の匂い」を感じた。

オレが映画を観る前から「本物の匂い」を感じることは稀なんだけど、今まではだいたい当たってきたと思っている。まあ「これオレ好きそう!」、観てみたら「やっぱり好き!」ってだけのことなので、大した話ではないのだけど。以下感想、少々ネタバレあり。

女児向けアニメゆえなのか尺が短く、もう10分あげたかった。鬼気迫る偏執狂的な美術と作画が、おっこや幽霊たちに実写以上の身体性と実在感を与えている。春の屋に泊まってみたい、そう思わせるだけでも驚異的なアニメだと思う。 (★4)


ウリ坊ら幽霊は浮いたり消えたり通り抜けたりするものの、確かに肉体を持った実在する少年少女として描かれている。神楽の場面の感動は、現実と重なる別のレイヤー、もうひとつの現実を我々が目撃することから生まれるものだ。しかし彼らの成仏や昇天、生まれ変わりについてはなんでなんだかピンと来ず、映画の御都合でお別れになってんじゃないのかとしか思えなかった。もっとずっと春の屋に居ったらええやん。


この映画、幽霊や妖怪はおっこに寄り添ってくれる楽しい存在として描く一方で、冒頭の交通事故の場面はメチャクチャ怖い。監督がYoutubeで事故動画を見まくって研究でもしたのか、トラウマ必至の凄まじい現実感である。そして「幽霊よりも交通事故の方が遥かに恐ろしい」のは、現代を生きる我々にとって真実以外の何物でもない。だいたい、幽霊にとり殺されたやつが何人いるというのだろう。ちょいとネットで調べたら、この映画の前年2017年の国内交通事故死者数は3694人、これは統計の残る1948年以降で最小の(最良の)数字らしい。最多は1970年の1万6765人で、90年代前半も1万人超えが続いていた。幽霊どころか戦争や震災レベルで毎年毎年人が死に、それだけ多くの家族が悲しみに暮れている。アニメ界最速の自転車乗りである監督が交通事故について他人事ではない確かな実感を持っており、確信をもって事故の場面を描いたことは疑いようがない。


まあ交通事故は一例だが、これは志ある映画だと思う。世の幸せなお子さんたちに「お前の両親も死ぬのだ、みんな死ぬのだ、お前も死ぬのだ、だから死ぬまで生きるのだ」と身も蓋もない、しかし本当のことを真剣に伝えるハードコアな劇薬だ。しかしですね、オレは好きだけどこれが子供にウケるかというと、たぶんこれウケません。子供はプリキュアとかコナン君の方が好きだと思う。でも見てほしい。そんな映画でした。

それにしても、上半期の良作「リズと青い鳥」も下半期の今作も、脚本が吉田玲子。よく知らんけど、凄い人なんだろうなと思う。またネタバレになるので詳しくは書けぬが、映画の後半に胸を衝く、極めて重要で難しい役どころのキャラクターを演じるのが山寺宏一。もうこの人に任せたらまず間違いない、という渾身のキャスティングだと思った。

瑕疵も不満もある映画だが、オレにとってはとても好きな映画になったのでオレは嬉しい。皆さんも気が向いたらどうぞ。