映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」を、なぜオレは気に入ったのか

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大島新監督。大島渚のチンコからやってきた

おおテリブル。テリブル香川! こ… これが… これが香川か…… これが香川…… (車田正美リングにかけろ」より抜粋改変) (★4)

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車田正美リングにかけろ」 より


自分語りから始めるが、どうか勘弁されたい。1972年生まれのオレは18歳まで文化果つる地、香川県高松市に住んでいた。田舎にウンザリしたオレは上京し、東京(一時期は神奈川)で約30年暮らし、2019年に一身上のナニによって再び高松へ出戻った。高松市は一部を除き、この映画で主戦場として描かれる「香川県第1区」に属する。


東京にいる間は基本的に高松のことなど忘れて面白おかしく暮らしていたわたくしであったが、田舎に戻ってみるとアーなるほど、思い出したぜ、なんぼビルが建ってたってここは確かに18歳のオレがウンザリして脱出を熱望したクソ田舎だったぜい、ゼイゼイ、などと実感したものだ。クソ田舎では大多数の人間が知性を憎む土人であって、その結果でっちあげられた「社会のようなもの」では理性も論理もお呼びではなく、それはなんとも名状しがたい歪で奇怪な何かだ。ま、全国各地で多かれ少なかれそうなんだろうな。


ここ香川ではどこへ行っても、大通りでも裏路地でも市街地でも田んぼでも平井卓也のポスターがアホほど貼ってあるんだ。この男は世襲政治家三世で、生まれながらに親譲りの地盤・看板・カバンをタダでゲット。電通勤務、RNC西日本放送(香川の日テレ系地方局)社長、親族経営の高校の理事長などを経て香川1区から国会議員になった。最初は新進党だったのに、いつの間にかまんまと自民党に化けていた。祖父は元郵政大臣。父は元労働大臣。母は四国新聞(香川でシェア6割を占める地方新聞)の社主。弟は四国新聞CEO。本人はかつて西日本放送の社長を務め、同局の大株主は母親と四国新聞社だ。


つまり平井卓也とは、香川県において新聞テレビラジオなどのメディアを支配し、都合の悪いスキャンダルはもみ消し、ご都合のよろしい提灯記事をいくらでも発信できる、ズバリ言って「王」のようなクソやんごとなき立場にどっかと座る(立ち場なのに座るとはこれいかに)男なのである。実際、週刊文春が平井のドラ息子の軽犯罪を報じるやいなや平井事務所の兵隊たちが動員され、早朝に全ての書店から週刊文春を買い占めることで県内から同誌を消したことがあった。こういうの、或いは田舎ではよくある話なのかもしれない。しかしその上で平井は地元メディアを牛耳っており、それらから平井に不利な事実が報道されることは過去現在未来においていっさいない。おい、なんでもできるんだなお前。これとて土人感覚では「なんでもできる偉い人」と認識されてしまうので、ホントに救えない。理性なき荒野・讃岐平野に君臨し続ける、「地獄の黙示録」のカーツ大佐みたいなやつなのだ。高松じゅうがカーツ大佐のポスターだらけで、やつは毎日毎日オレの視界に入ってくる。来てくれウィラード。


こいつが県内でダイソンの掃除機のように組織票を吸い込んだあげく国政に乗りこんで何やってるかといえば、ニコ生の党首討論会で自分のスマホから福島瑞穂に「黙れババア」などと暴言コメント書きこんだり、自民党公式iPhoneゲームアプリ「あべぴょん」を開発させたり、国会審議中にタブレットで5分間もワニ動画を見たりして大活躍してるわけだ。これら華々しくも揺るがぬ実績と、権力者のケツを舐めて気持ちよくさせる卓越した技術によって、現在(2020年)平井はニセ科学EM菌の敬虔なる信者にしてデジタル改革担当大臣である。こうなるともうズバリ言って、国政をまともに国政と受けとるのも難しい。国政の陳腐でグロテスクなパロディが演じられているようにしか見えない。しかしこの国のこれが現実である。


よく考えてみると、イヤよく考えなくても、オレは香川県で選挙に投票したことがまだない。18歳以前には選挙権がなかったし、東京では都民だったし、高松移住直後の2019年参院選ではオレはまだ東京都民扱いだったので高松から東京の選挙区へロングパス投票したのだった。だから香川県の候補者には詳しくないし、突っ込んで調べたこともなく、ただここじゃ平井卓也というカーツ大佐みたいなクソ野郎がやたらデカい顔をしてやがるなという印象しかなかった。小川淳也は、どっかで名前は聞いたような気がするがよく知らない人だった。


高松ではこの映画、コロナ禍の2020年6月から8月にかけて地元シネコンの大箱で公開され、ほどほどヒットしていたという。映画興行には平井の手も届かなかったと見える。オレはフーン観てもいいかな程度には思っていたが、なんだかんだで観ないうちに上映が終わってしまった。その間オレは「ランボー ラスト・ブラッド」とか観てそれなりに充実していた。しかしマー地元の政治家の話だし、監督が大島渚のチンコ出身であること(要するに息子ってことだ)を知るなどして、だんだん観たい気持ちが強くなってきた。そこで10月、大阪に行ったついでにようやくミニシアターで観てきた次第。前置き長い。すみません。


これは実に面白かった。いちばん感心したのは観客にひとつの「ものの見かた」をハッキリ提示するタイトルだ。観客は小川を「総理大臣になれない」男として紹介され、なぜなれないのかを考えながら劇中の17年間、彼の言動を見守ることになる。小さかった娘たちは育ち、両親は老ける。そのうちに最初は漠然と、最後には歴然と、現代の日本でこの男を見る「意味」が浮かびあがってくる。大量のおつまみ(現象)が、すべて意味あるオカズ(演出)として立ち上がってくる。これがドキュメンタリーの「視点」、或いは「切り口」と呼ばれるもので、この意味づけに沿って物語が構成されているから、こんな背広のオッサンだらけの映像を2時間も観てられるのである。ただボンヤリと小川を追っかけた取材映像を意図もなく並べただけでは、ダラダラ長いしょうもない映画にしかならないのだ。


小川は事務所で弁当やうどんを食う時、必ず監督にも「メシ食った?」と問う。このセリフそのものはごく日常的な、よくあるしょうもないひとつの「起こったこと」(現象)にすぎない。これを意図して編集で使う、しかも違う場面での小川の同じような台詞を、もう1回使う。自分がメシを食う時、他人がちゃんとメシ食ったのかをいつも気にする男。ダラダラ回しっぱなしの膨大な素材の中から、取材対象の人間味ある横顔を描くためのちょっとした短いやりとりを的確に拾い、編集では断固これを使う。ああ、オレは今いいドキュメンタリーを観てるなーという実感があった。まあ正直言って、平井卓也に何年密着したとしても、こういうくだりが撮れるとはオレは思いません。


政治の世界が舞台のためかどうかは知らないが、この大島新監督は目の前の現実にあんまり介入しない。介入する時は自分が画面に出るし、自分視点のナレーションを読む。基本的には、カメラの前でなにかが起きるのをじっと待ってる。この映画はもちろん小川淳也プロパガンダであるし、彼を常に善良な、正義の人のように見せている。しかしそれができるのはそういう素材が撮れてるからで、やっぱり小川自身が自分の中において善良さ、誠実さ、正義といったよきものを信じているからだろうと思う。監督は、選挙戦の敵である平井卓也をことさらに悪くは見せないし、やつのキズ、邪悪な部分、暗黒面を声高に言い立てもしない(オレは言う)。プロパガンダにしてもバランス感覚がすぐれており、フェアだと感じる。たとえば森達也なんか全然フェアじゃないし、フェアじゃないことを売りにさえしてて、まあそういうやり方もあるんだろうがオレは好かない。


この映画で描かれる17年間はオレが高松にいなかった時間でもあるのだが、小川の選挙活動を眺めているとオレの知ってる場所だらけ。南新町商店街、トキワ街の入り口、中央通りに高松東バイパス。空港から市街地への道。小川の選挙事務所は近所でいつでも行けるし(というか今では時々前を通る)、瓦町駅前では小川の背景にオレの実家も映ってた。小川が住んでる円座町も知ってる。宮武うどん、うまいよな。オレがいない間に高松ではこんなこと起きとったんかワレ、となかなか楽しかったよ。


小川のような何の背景もない持たざる若手政治家が、理性も論理も通用しない土人だらけのクソ田舎で、自営業者や中小企業のキンタマ握ってる自民党とクソ田舎の歪みをすべて兼ね備えた平井卓也の如きカーツ大佐を相手どり、それでも勝ったり負けたりの接近戦を演じているのはほとんど奇跡に等しいことなのだということを、皆さんどうか判ってほしい。オレは「こんな政治家がいたのか!」というこの映画の感想をネットで見かけたが、しかし、いやー、ボカーこういう人は案外どこの地方にも、そこそこいるだろうと思いますよ。ただ大抵は圧倒的に負けてケッチョンケチョンに惨殺されてんですよ、地元のカーツ大佐に。だから田舎の一般人からは見えにくいんじゃないかな。


この映画を観て、古き悪しきド汚い政治家には致命的に向いてない小川が無理やり政治家やるために受けまくってる深い傷、失って戻らない尊い何かといったものが、確実にあるように感じた。そもそも国政を手掛けたければ、田舎選挙のドブ板でライバルに差をつけろ! というのはあまりにも国政に関係ない能力を問われていると思えてならない。選挙は民主主義の根幹なんだけど、現実には欠陥が多いシステムで、ベストの方法とはいい難い。政敵の平井は哲学も理想も信念も倫理も持ってないが、地域社会の隅々に毒の根を張っており、香川でドブ板やらせたら異常に強い男だ。一方、小川の中学の同級生は選挙カーの車内で「なんでこんなことやってんのかな、仕方ないけど」と、小川には口が裂けても有権者の前で言えない疑問を代弁してて、実に味わい深い。迷ったあげくに希望の党からの出馬になって、小川は選挙カーの中で「無所属(で出ていたら)カッコいい。潔い。葛藤がない」「へんな感じになっちゃったなあ…」とこぼす。ぜんぶ小池百合子が悪いこのゴタゴタの中で、小川はとうとう「汚れた」のだ。ヨゴレ政治家になったのだ。小川はそれを、スンナリとは呑み込めない。田んぼと街を駆けずり回って罵声を浴び、家族は他人に電話かけまくり。オレには小川のことが、売れない地下アイドルのように見えてきた。キモいオッサン相手でも誠心誠意ひとりずつ丁寧に、笑顔で握手。決して夢を諦めない。CDは手売り。パンツもチラチラ。しかしこんなことをいくら頑張って続けたとしても、君は死ぬまで紅白に出られないし、君は武道館を満員にできないし、君は総理大臣になれない。うーん、逆に尊い(キモいアイドルオタクみたいな感想)。

映画感想とは関係ない話だが、今年日本全国を震撼させた香川県議会の「ネット・ゲーム規制条例」の背景には、四国新聞が数年がかりでデジタル娯楽を攻撃してきた一連の紙上キャンペーンがある。平井卓也は自分の自由になる四国新聞を使って、田舎者をメディアがどこまで誘導できるのかを試していた節がある。そんなクソ野郎がデジタル大臣である*1。ろくでもないことになるのに決まっているのである(陰謀論には気をつけましょう)。

追記

ブコメで疑問があがってたので追記。映画感想を引用表示にしてるのは、ホントに引用だからです。ここから。どっちも自分だけど。
CinemaScape/Comment: なぜ君は総理大臣になれないのか

*1:新メディアに対してなぜか旧メディアの人間が支配的な権力を握ることが国政ではよくあり、その目的は新興勢力を飼いならす、無力化する、既得権を守る、などろくでもないものだ。ちょっと前の、IT政策担当大臣が自民党ハンコ議連の会長(竹本直一)とかな