ギャンブル思想

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  • リチャード・ドレイファス
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「そんなに馬が好きなら馬だけ見てればいいじゃない」とのたまう奥さんに「賭けなきゃ競馬にならないのさ」と言ったのはフロリダのタクシー運転手ジェイ・トロッターである。その通り、賭けなきゃ競馬にならない。世間的にはギャンブルというものはたいへんによくないものとされているが、実際にはこの世はあらゆる不確定要素とそれへの賭けに満ちている。
どこぞの神様は6日間で世界をつくり、7日目に休みをとったらしい。人間はそれに倣って6日間働いて、日曜日だけは休む習慣を作った。働くことで金を稼ぎ、使うことで金はなくなる。人間は金のために生きるようになった。しかしある人間たちは、日曜日にもじっとしていなかった。彼らは働かなくても金を手にいれる方法、使わなくても金をなくす方法を作った。それがギャンブルである。ギャンブルは「金」という概念への強烈なカウンターパンチになった。つまりは金なんかただの目盛りじゃねえか、ただの紙屑じゃねえかという世間への異議申し立てである。金の多寡が人間の豊かさを決めるのではなく、金そのものを使って遊べるくらいのデタラメさ、金に縛られないある種のいいかげんさにこそ人間の精神の自由や豊かさがあるとする思想だ。これはルネッサンスなのである。
言うまでもなくこれは理想の話で、実際には金がないと非常に不便なように世の中は出来ている。金があれば有形無形のいろいろなものが買えるから、オレだって金は大好きだ。いくらでもほしい。いつかあいつの足元にビッグマネーたたきつけてやる! しかし金に縛られている自分が大嫌いになる瞬間も、生きているとたくさんある。金に執着して人間性を縛られていく弱い自分と、金を捨てることで自由な精神を回復する自分。この2つの間を振り子のように行ったりきたりしているのが人間の姿ではないだろうか。競馬をやっていると、この両極端をものすごい勢いで往復することになる。冗談ではなく、秒単位で行ったりきたりするのである。だから競馬をやるとき、人は冷静でいられない。それは自分の中にある巨大な矛盾と正面から向き合うということであり、この過激な振幅に耐えられないという人はギャンブルから去っていく。競馬をやるのにも素質と才能がいるのだ。
この社会は金という共同幻想を維持することで、いわば全員がグルになった八百長で動いているマトリックスだ。だからギャンブル思想は社会の敵になる。国家はギャンブルを禁ずるが、禁じたところで人間は賭ける動物なのでやめさせられず、今度はギャンブルを管理する側にまわる。国家なんてものは昔からロクなことをやらないもんだが、日本の競馬は25%もの法外なテラ銭*1を取っている。これは確かに法外ではあるが、しかしこれをもってしてホラ見たことか、だから競馬をやるのはバカげたことだとする思想をオレは支持しない。そういう人はただ金を後生大事にしてマトリックスの夢の中で黙っていればいいのであって、金への執着を超え、欲の向こう側の世界を覗くことで人間性を復興しようという我々の志を批判する資格は持っていないのだから。でもそういう人に限って平気で「庶民の夢」とか言って宝くじだのtoto(共にテラ銭50%以上)だのを買ってたりするんだよなあ。いっそ風俗にでも行ってヤクザ資金源に貢献したほうが、まだマシに思える。結局、国家ほどえげつないヤクザはいないということである。

*1:競馬の胴元は賭け金総額の25%を問答無用で懐に入れ、残りの金を配当金として還元する。