モノローグ

競馬はモノローグの世界である。そこにダイアローグはない。
競馬をやる者は、全ての負けを自分が引き受けねばならぬ。それはつまり、自分だけの体験と物語を作っていくということだ。例えば友達と一緒に競馬に行ったとして、その友達と同じレースにそれぞれ賭ければ、そいつと同じ時間を共有したとは言えるだろうが、同じ体験、同じ物語を共有したとは言えない。買った馬券が違う以上、それはオレ固有の物語であり、そいつ固有の体験であるからだ。馬券とは、そのレースに、或いはその馬に、自分がどう関わったかという証明である。知性と感情と意志の結晶であり、今を生きたというアリバイであり、金であり、紙屑である。それは誰と共有できるものでもないのだ。馬券は自分そのものだ。故に、本質的に競馬ファンは孤独な生きものである。競馬は孤独の中にある。
G1ともなれば、競馬場には人があふれる。あそこに見える一団は大学生のサークル*1だろうか、芝生にレジャーシートなんか敷いて和気藹々、わたし競馬はじめてー、キャー馬ってカワイイー、よーしオレなんか1万円賭けちゃうもんねー、えーそんなにー、競馬場って広くてキレイねー、そうね意外とオシャレねー、ああホラホラあれ武豊じゃない? わーホンモノだーすごーい。 ブッ殺すぞコラ!!!!
いや、オレだって本当は小さい人間なんだ。連中の気持ちもよくわかるんだ。やつらは恐れている。決定的に傷つくことを恐れている。仲間と大勢で騒いでいれば、たとえ負けても今日は楽しい1日だったと思えるんだろ? 予想が外れても笑ってくれる人がそばにいれば自分を追い詰めなくてすむんだろ? 全部ナアナアにしたいんだろ? しかしそう思ってるのなら、競馬なんかやらなければいいんだ。ディズニーランドにでも行ってネズミと握手してりゃいい。

*1:オレは大学には行かなかったのでサークルというものがよくわからないのだが、なんとなく非常にいかがわしいもののような気がする。