「武田惣角と大東流合気柔術 改訂版」

武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

武田惣角と大東流合気柔術 改訂版

  • 発売日: 2002/05/25
  • メディア: 単行本

武田惣角先生は凄すぎる、凄すぎるぜえええええええ。
武田惣角(1860-1943)
植芝盛平(1883-1969)
塩田剛三(1915-1994)
ごちゃごちゃ説明するのは面倒くさいので、お手数ですが興味ある方はWikipediaあたりで上記の人物たちを調べてください。
まずド素人である自分の認識から説明すると、塩田剛三という人の著書やビデオを見るたびにこの人の達人っぷりはオレの貧弱な想像力をいちいち超えていたのでビビッてたじろいでいたのだが、ましてその師匠である植芝盛平はほとんど超人にしか思えず、さらにそのまた師匠である武田惣角に至ってはもはや人ではなく天狗の化身か妖怪か、バケモノのようなイメージを持っておった。
この本は武田惣角の伝記、ゆかりの方々へのインタビューやエッセイで構成されている。
これを読むと、会津藩の郷士の家に生まれた武田惣角は明治から昭和までを生きた近代の人だということがよく判る。武田惣角は大東流合気柔術の技を、身分や出身で差別せず様々な弟子に伝授した。全国を渡り歩いて土地土地で弟子をとり、授業料を取って大東流を教えたのだ。「技の普及」などという概念は戦国時代や江戸時代には存在しなかったのだから、これはいかにも近代思想っぽい画期的なことであった。しかし近代の人であると同時に、武田惣角は骨の髄まで武道家だった。生涯道場というものを持たず、家庭をほったらかして全国を放浪し続けた。教授する際にも人を選び、無用に人には自分の技を見せたがらなかった。これに比べて「This is Karate」と「What is Karate?」を世界に発信した大山倍達は、いかにも現代的な感覚を持った、情報化時代の武道家であるといえる。
長年に及ぶ武田惣角の全国行脚の中に、面白い話があった。1933年(映画「キング・コング」が公開された年だ)、大阪の朝日新聞社は東京から定期的に植芝盛平を招き、自社の社員たちに合気術を教えてもらっていた。当時は新聞が反政府的なことを書くたびに政友会だの右翼だのの元気いっぱいのお兄さんたちが新聞社に殴りこみ、やれ守衛を殴ったり放火したり輪転機に砂をまいたりして大暴れというゴキゲンな世相であった。言いたいことも言えないこんな世の中じゃポイズン、新聞社も防衛に努めて暴徒を撃退せねばならぬ。植芝先生の合気を学んで修めてふるえるぞハート、燃えつきるほどヒート、刻むぜ波紋のビートてなわけで、新聞社の社員が日夜武術の稽古に励むという不思議な風景が現実のものとなった。どうでもいいが新聞社が言論の自由を守るために武を学ぶというこの倒錯、なんだか実に興奮させられる。
さて植芝先生から合気術を学んで2、3年ほど練習を重ねたとき、大阪朝日新聞本社の受付に何の前触れも紹介もなしに小柄な老人が現れた。眼光鋭く、腰には鎧通しの小刀を手挟み、右手には荒行者の持つ鉄棒をチャリンジャリンと鳴らして「頼もう、自分は植芝盛平の合気柔術の師範武田惣角と申す。盛平が未熟にもかかわらず合気柔術をここで教えているということを承り、他の所なら兎も角、天下の大朝日で未熟なる技を教えては大東流合気柔術の面目にかかわるから一大事と存じ、はるばる北海道からまかり越した。直ちに教授を始める」と大音声をあげた。
これはたいへんなジジイが来たってんで、大阪朝日新聞の人々は武田惣角を道場に招いて丁重にもてなした。彼らは植芝盛平から「武田惣角という先生から大東流合気柔術という技を習ったことがある」とは聞かされていたものの、こんな小さな老人がその大先生御本人とは俄かには信じ難かったそうだ。ちなみに植芝盛平はいつも内弟子を数名連れてきてこれを受身の相手として術技を示すのに、武田惣角はいきなり一人だけで現れてその場に出てくる者を相手にして技を見せるそうだ。この時も新聞社の猛者たちが入れ代わり立ち代わり挑みかかるのを、まるで赤子の手をひねるが如くデエイ、デエイと投げ飛ばしては押さえ込み「参りました」も言わせぬ圧倒的な強さだったという。
「植芝先生の美技にうっとりしてきた私どもは、今この老大先生の剛技にあって、まったく唖然として魅了されてしまった。弁慶が牛若丸の家来になった如く、私ども一同は直ちに先生の膝下に伏して入門した」というから、これはもうトキの道場にラオウがやってきて大暴れして、そのあまりのド迫力に全員が心酔して拳王親衛隊に入ってしまったようなものである。凄い凄いぜ凄すぎるぜえええ。
この時期、植芝盛平は武田惣角から微妙な距離をとっていたようだ。植芝盛平にとっては1922年に武田惣角から大東流の教授代理を許されてから、1942年に合気道の名称を用いて開祖となるまでのド真ん中の時期であり、いろいろと考えるところもあったのでしょうなあーとド素人のボクチャンは想像するしかない。
この本には他に、小っちゃかった頃の紙プロの古武術特集*1にもインタビューが載っていた大東流合気柔術六法会の岡本正剛宗師、巻末には武田惣角の御子息である大東流合気武道の武田時宗宗家のインタビューも載っていた。特に息子の時宗氏が語る父・武田惣角像はもの凄く、ほとんど超常現象か超能力のような話もあって興奮する。
思うのだが、明治から昭和にかけての日本武道史を誰か大河小説にしたり大河ドラマにしたりしないものだろうか。武田惣角は同年生まれの嘉納治五郎と交流があったらしいし、嘉納治五郎は講道館から植芝盛平の合気道へ弟子を派遣し、技を学ばせたこともあったという。オレは近代日本を舞台にした壮大なスケールの「武道家スーパースター列伝」を読みたいのだ。誰か描かないもんかな。

*1:あの号は紙プロ史上でベスト3に入る傑作で、オレが古武術ミーハーになった原因の一冊だった。