「女中」問題はどうなった

ふと思い出したこと。かなり昔のことだが、筒井康隆が小説内に書いた「女中」という言葉を編集者に勝手に差し替えられた、と怒っていたことがあった。差し替わったのは「メイド」だったか「家政婦」だったか「ハウスキーパー」だったか忘れたが、それらは厳密には女中と別物で、イメージも伝わらない。また「お手伝いさん」という言葉もあるが、筒井康隆は原則として職業に「お」や「さん」をつけることはせず、かといって「手伝い」では意味が違ってしまう。
確か「女中」という言葉が差別的だという編集者の判断が差し替えの理由だったと思う。これ、今でもそうなのだろうか。今の日本ではもう「女中」だの「下女」だのを職業としてやっている女はほぼおるまいが、昭和のある時期までは普通にいたわけで、これを差別的だからという理由で小説に書けないのであれば問題だ。
昔は「女中を雇っているかどうか」がその家のグレードを示す基準のひとつでもあっただろう。エロジジイやドラ息子が「女中に手をつけた」なんて話もよくあっただろうし、そんな場合でも女中は僅かな金を握らされて泣き寝入りしていたのだろう。まったくひどい話だ。オレもブルジョワになりたい!
今「女中」という言葉を全然見かけないのは、差別的だという以外にも理由があろう。市原悦子は「家政婦」という言葉をメジャーに押し上げたし、オタク文化圏では「メイド」が御都合のよろしい女性キャラクターの類型として萌え市場を席巻したからだ。市原悦子はともかく「メイド」という言葉には、つくづく言葉が変幻自在の生きものだということを気づかされる。オレが子供の頃のメイドのイメージって完全におばちゃんでしたよ。「トムとジェリー」に時々足だけ出てくる黒人のデブおばちゃんですよ。それがいまや! いやエロゲなんか好き勝手放題やってて表現の自由バンザイで結構なんですが、メイドって現実にある職業であって架空の概念ではないですからね。猫耳とかならどこからも文句来ないだろうけど、昨今のメイドという職業の曲解ぶりに、全日本メイド協会とか環太平洋家事代行業連盟とかからクレーム来ないのかなあ。そういう組織がないだけなのかな。