プロに何を見たいか

スポーツという言葉には「遊ぶ」「戯れる」「気晴らし」といった意味があるらしい。以前書いた「ゲーム」そのまんまである。だからチェスもスポーツといえるだろう。そう考えると金をとって見せるプロスポーツは、ずいぶんスポーツ本来の意味から遠ざかっているように思える。たぶんプロスポーツでは気晴らし以上の何かが行なわれているのだろうし、客も気晴らし以上の何かを見るために木戸銭を払っている筈だと思う。
マチュアがあってプロがあるという構図は、競技人口のピラミッドの頂点にプロがあるという意味でなんとなく正しいような気はする。ピラミッドの底辺にいる一般人、アマチュアからすればプロの技術は憧れの対象だろう。
オレはまったくスポーツをやらない人間なので、あるプロの下にどれだけ巨大なピラミッドが存在するかということをあんまり気にしない。アマチュアに興味がないのだ。PRIDEに出ている吉田秀彦を見て柔道の競技人口、その中で頂点に立つということの凄さをなんとなく想像はしていたものの、その吉田もシウバ戦で「凄いアマチュア」から1人の「プロ」に化けた。オレは「プロ」に化けた吉田の方を断然評価する。
オレは高度な技術にも高度な戦略にも、あんまり興味がない。その向こう側にあるはずの、人間の凄みと面白さに興味のピントをあわせたい。ID野球がなんぼ凄いかオレは知らない。きっと凄いんだろう。しかしオレをより感動させるのは宿泊先の旅館で王貞治が日本刀で素振りをしたといったような、明らかに気がふれているエピソードの方だ。それは水島新司よりも梶原一騎の世界を支持するということでもあり、好みの問題としか言いようがない。そして、プロスポーツのほとんどはその人間の凄みを見えにくくする枠の中にあるようにオレには思える。人間を見せられない選手は、世界一の技術を持っていてもオレは評価しない。極端な話、王さんはホームランを打つから凄いのではなく、日本刀で素振りをするから凄いんだと思っている。およそ人の視線を集めることでメシを食っている「プロ」には、オレはそこまで要求したい。