11/9 PRIDEミドル級GP(東京ドーム)

昨夜の地上波放送を観た感想。
ミドル級GPについては、シウバの強さを改めて見せつけられた。吉田は非常に健闘したが、試合は終始シウバが主導権を握っていた。1Rは吉田ペースとしたフジテレビの実況はちょっとひどすぎる。終わってみれば、シウバだけが他のメンツの5馬身くらい前にいた印象。
で、ミルコ対ノゲイラである。ゴングが鳴った直後に非常に興奮したのは、ノゲイラがミルコのまわりを「回らなかった」ことだ。正確に言えば、時にはミルコが、時にはノゲイラがリングの中央に立って相手がまわりを回るというほぼ互角の展開だった。
オレはこの「弱いやつが強いやつのまわりを回るのだ」という神話を頑固に信じている人間だ。これは実際にそうなのだ。中央に立っているやつが必ずしも勝つとは限らないが、主導権を握っているのはリング中央に立っているやつで間違いない。つまり、見た目の印象ほどミルコは主導権を握ってはいなかったということである。ノゲイラは、藤田やシウバ以来の「ミルコに格負けしない選手」だった。ノゲイラはミルコ幻想に呑まれることなく、紙のように薄い勝機を必死で探りあてようとしていた。そして相手を呑むことに慣れてしまったミルコは、ノゲイラが諦めずに勝機を探っていることにあまりに無頓着すぎなかっただろうか。
いや、ミルコの気持ちもわかる。最初の引き込みテイクダウンを除いて、ミルコはノゲイラのタックルを切り続けた。ノゲイラがミルコのミドルを捕らえようとしても、ミルコが蹴り足を引くのが速すぎて捕まえきれないのだ。オレだってノゲイラがスピードでミルコに勝るなんて思っていないが、それにしてもミルコの身体能力、いやそれ以上に危険への反応速度はズバ抜けていた。そして、それを可能にしているミルコの集中力の高さを想像して慄然とした。こんなやつをどうやって転がすというんだ。
1R終了際のハイキックはKOにつながるものではなかった。ノゲイラはダウンというよりも自ら倒れて冷静に猪木アリ状態をとった。あれは「ノゲイラがゴングに救われた」といったものではないし、それはミルコも判っていたはずだ。しかし同時にミルコが「ああオレのハイキック当たるな。この試合勝ったな」と思ったであろう事も明白だった。2Rは「いつミルコが勝つんだろう」という空気で始まった。会場の空気も、ミルコの空気も、実況の空気も明らかに緩んでいた。そして緩んでいてもミルコは勝つだろう、そう思えた。それほど1Rのミルコは完璧だった。
おそらくノゲイラは、ミルコ相手に下になっても難しいということを1Rで悟ったのではないか。普通の相手はガードポジションノゲイラ得意のポジションであることを知りつつも、上になっているという優位性のためにその体勢を捨てられず、攻めざるを得ない。しかしハナからグラウンドをやる気のないミルコは、あっさり立ってしまうのだ。ミルコを立たせないこととミルコを極めること、これを両立するしんどさをノゲイラは悟り、まっすぐタックルに行った。緩んでいたミルコは足を伸ばさずしゃがんでしまい、バランスを崩して横に倒された。ノゲイラはあっという間に横四方からマウントをとった。寝ているミルコなど、ノゲイラからすれば赤子同然だ。
ミルコが難攻不落だったのは、驚異的なボディバランスと異常なほど研ぎ澄ました集中力で「絶対に倒されない」からだった。そのミルコの集中力が途切れ、緩んだ瞬間をノゲイラは見逃さなかった。結果論だが、1Rの劣勢でさえノゲイラの撒いたエサだったと言える。あれがなければ、ミルコの集中力が途切れることはなかっただろう。これが「風車の理論」である。ノゲイラは絶賛に値する。
総合において、絶対に倒されないという前提で立ち技に全てを賭けるミルコの闘いかたは異端もいいところである。誰か「総合」という言葉の意味をミルコに教えてやったほうがいいんじゃないか。しかし「倒されたら終わり」という背水の陣を敷いたミルコ・クロコップのたたずまいは極上の凄みと色気に満ちていた。未練たらしくリングを降りず、涙を溜めてノゲイラの勝ち名乗りを見ていたミルコ。彼はああすることで、クロアチアの国民の目の前で(この試合はミルコの母国クロアチアに中継されていた)自らを罰したのだろう。昭和のプロレスファンであるオレに言わせれば、K-1は彼を生み出すために存在したのだ(最大級の賛辞)。ミルコ・クロコップに、オレの2003年プロレス大賞を捧げよう。

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