HAL9000の足元にも及ばぬ「エクス・マキナ」

なかなか映画館に行くヒマがなく、しかし観たい映画だったので輸入ブルーレイを買った。

すぐれた低予算SF映画という評判だったので、ストイックでガチムチなSFを期待していたのだが… ある意味では、オレが大嫌いなナンチャッテSF映画ガタカ』あたりと大差ないのかもしれない。ビジュアルのイメージは完全に空山基だよな。ザ・ヒューマノイド

なにしろエヴァちゃんが魅力的なのだが、それがかえってSFを映画でやることの限界を感じさせる。(★3)

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BL大好き腐女子の冒険 「ぼんとリンちゃん」

マンガ実写化の底抜け映画が目立つ昨今の日本映画なれど、いやいや日本映画にも傑作ありまっせという御意見はあり、わたくしもそりゃそうだろうとは思っている。しかしたとえば近年世評の高い是枝裕和監督なんかは、拷問のような初期作「DISTANCE」を観た当時ボカー激怒したわけで、だから近作の評価がなんぼ高かろうと一切観る気が起きない。「そして父になる」とか「海街diary」とかよさそうですよね、オレだってそれぐらいなんとなく判ります。でも観ない。

興味はあるもののまだ作品を観たことがない監督は何人かいるが、洋画もあるしアニメもあるしでなかなか手が回らない。まあ実写「進撃の巨人」を後編まで観たやつがなに言ってんだという話で、お恥ずかしいばかりなんだけど。

ぼんとリンちゃん DVD通常版

ぼんとリンちゃん DVD通常版

  • 発売日: 2015/06/17
  • メディア: DVD

「ぼんとリンちゃん」は伊集院光のラジオ番組で昨年、ゲストの山本晋也カントクが褒めていたので興味を持った。現代のオタクの生態、その特異な立ち振るまいのリアリティがとても面白いということだったので、すっかり遅くなったがようやく観てみた次第。これがですね、まあ冒頭数分はどうしたもんかと思ったものの、じきに映画のペースに慣れて、観終えてみると意外に… いい映画だったのですね。こんな日本映画もあるんだなーと思えた。DVDの音声レベルが低すぎてセリフが聞き取りづらいのが問題で、テレビのボリューム最大にして観たよ。

映画が作られた2014年の「今」を徹底的に捉えた映画なんだけど、見かけよりも遥かに普遍的な青春映画になっていると思った。客を選ぶ映画だとは思うし、オレだって若い頃に観ていたら腹を立てていたかもしれない。だからあんまりオススメしないけど、まーこんな映画もあったということくらいは知っておいて損はないかと。以下ネタバレ、観てない人は読んじゃダメよ。

わたくしの如きおっさんにとっては遠い記憶となった煩悶が、若者にとっては現在自分を取り囲む世界そのものであること。年代とともに若者は入れ替わり続け、しかしいつの世にも若者は煩悶していること。 (★4)

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夜を這うもの「ナイトクローラー」

ナイトクローラー [Blu-ray]

ナイトクローラー [Blu-ray]

BDで「ナイトクローラー」鑑賞。ネタバレありますのでご注意を。

遠い空の向こうに」の夢見る少年ジェイク・ギレンホールが、こんなになっちまって。(★3)

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あんまりいただけない「人はなぜ格闘に魅せられるのか」

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える

人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える

著者は大学の英語教員で、本人の記述を信頼するならば、まあパッとしない中年男だ。彼が大学の向かいにあるMMAジムに入門してからの様々な体験、人類特にオスにとっての格闘=決闘についての考察、暴力を避けてきた半生の回想、MMAの練習における他者との関わりや得た知見、など、など、などが、まー出鱈目な順序で書かれている。

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東京五輪に関する愚痴

今回は不快な文章ですみませんと予め謝っておくしかないネガティヴな内容なんだけど、なーもうさー今からでもオリンピックやめようぜーゴロゴロ、という気分が止まらない。2013年に東京開催が決定するよりも以前、招致運動の時点からオレはイヤだったんだ。東京に住むオレは、オリンピックの年に爆発的に発生するに決まってる不都合の無限連鎖、想像を超える醜態の数々、非日常に興奮したバカどもの大騒ぎ、など、など、などを間近で見ざるを得ず、それらを心から忌み嫌う者だ。いやいや東京五輪はもう決まったことなんだから張りきっていきましょうがんばっていきまっしょい、という方々も多かろう。それ知ってるよ、一億火の玉だろ、欲しがりません勝つまではだろ。合唱の練習に必死になる女子か。静かに暮らしたいと思っているのは吉良吉影だけじゃあねえんだぜ。

だいたいオリンピックなんて売出し中の後進国か、安定の超大国でやるもんじゃないのか。今や日本は国力ガタ落ち、落ち目で貧乏くさい国なんだよ。落ち目を世界にアピールしてどうすんだみっともない。

加えてオリンピックなるイベントが素晴らしいもんだとは全然思えないので、張りきっている連中がオレには田舎者にしか見えない。あんなもんは毎度毎度発祥の地ギリシャでやっておればよいのである。いや、そもそもオリンピックそのものが必要ないのだ。例年、各競技毎に世界選手権をやっておるわけで、それで何か問題あるのかと思う。近代五輪の歴史なんてたかだか100年ちょっとだろ、クソしょうもない。ボクシングのクインズベリー・ルールより歴史浅いやん。大相撲なんか江戸時代からやってるからな。

2020年東京五輪が現代日本人の悪いところすべてを白日のもとにさらけ出す地獄のイベントになるのは、もはや明らかであるように思う。招致活動をしていた連中の嘘八百。決まってみればやれエンブレムだ、新競技場だ、追加予算だ、賄賂だなんだとクソみたいな話だらけ。何かあるたびにオレは「そら見たことか」「言わんこっちゃない」と胸の内で呟いていたのだが、頻出する問題の多さに最近は「そおおら見たことかあ。言わんこっちゃあないんだよおお。ほええん」などとリアクションが大げさになってゆくばかりでバカみたいだ。心の底からうんざりしてるんだけど、ナーニこんなもんで済むわけがないからね。これからもまだまだ出てくるぜ犬のクソが山盛りなんだぜ。オリンピックとパラリンピックがようやく終わるその時までに、自分が日本人であることがどれだけ嫌になっているだろうと想像すると、今から憂鬱になるんだよなあ。


宇宙最強ドニーさんと「現代の武」を考える

ブルーレイで「カンフー・ジャングル」。今を生きるドニーさんの、今を生きる現代の映画でした。

「武」の再定義を模索するような内容で、実に興味深く観た。(★4)

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「心が叫びたがってるんだ。」にイライラ

一見よさげな悩める青春群像が、問題の核心にまったく触れぬままウヤムヤに解決。トラウマやアイデン&ティティの問題が結局は色恋沙汰に収束する。作り手の青少年への侮りは許しがたく、大問題と思う。(★2)

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立てば芍薬 座らない


これは本当に便所の落書きみたいな個人的な独白なので、あんまり真に受けないでいただきたいと願います。

ボタンが嫌いだ。ボタンと言ってもいろいろあるが、オレが嫌いなのは穴に糸をグルグル通して辛うじて服にくっついているあれだ。オレは服飾、ファッション、オシャレといったものに生来疎く、今後もそれを学んだり着飾ったりする気は一切ない。しかし、服に糸でくっついており簡単に毟り取れる、穴の空いた円盤状のアレの存在は許しがたく、あんなものを身に着けているようでは人類はいつまでたっても土人のままなのではないかとすら思う。ボタンの「簡単に取れる」「とれたボタンは糸でくっつける」「それもわざわざ簡単に取れるようにくっつける」といった不便極まりない特性がオレを苛立たせる。そんなもん最初から不良品としか思えないのだ。斯様なクニクニとくっついてんだかくっついてないんだか判らないあやふやなものを身に付けるということに、まともな人間なら絶大なストレスを感じる筈なのである。だからオレは、ボタンのついた服は極力着ない。ボタンというのは西洋人の発明だと思うが、21世紀に至ってもこれほど不様なものを更新せず改善せず放置しているのは正気の沙汰とは思えぬ。ファッションのことは何も知らぬオレではあるが、それでもオレは醜いものが嫌いで、ボタンは実に醜いと思うのだ。

同様に、靴というものも極めて不完全な発明だと思っている。あんなもんは細菌の温床で健康に悪いし、歩きづらく使いにくいだけだ。オレは男なので履かないがハイヒールなんて言語道断、人間への侮辱としか思えぬ。世には足袋に草履に雪駄下駄、各種サンダルなどのすぐれた履物がたくさんあって、地面の状態によっては裸足だってたいへん快適なのに、我々が生きるこの土人社会では靴を履かねばならぬ局面が少なくない。職場とかな。まったく馬鹿馬鹿しいことである。靴を履いたほうが走りやすいというご意見もあるだろう。だったらそういう人は靴履いて汗かいて走っておればよろしい。オレはそもそも走りたくないのである。昔の日本人はほとんど走らなかったと聞く。また、死ぬほど走ってた飛脚だって履いていたのは草履だ。靴ひもなんてものには最高にイライラする。あんなもの結ぶなんて原始人のやることだ。だから、こういった発明は悪くないと思う。ちなみに、やはり履きにくいがゴム長は構わない。ゴム長には明確な目的と機能(テーマとプラン)があるから、あれは美しいのである。

さらに言えば、「ネクタイ」という存在理由すらさっぱり判らない意味不明の細長い布がある。あんなもん今日にでも絶滅すべきだと真剣に思う。考えてもごらんなさい、あした高度な文明を持つ宇宙人が飛んで来てさ、人類のオスの多くが首にぶら下げている布には何の意味があるのか問われてから顔真っ赤にして恥ずかしがっても遅いんだぜ土人ども。

「ワールド・ジュラシック」ならWJだったのに

ブルーレイで「ジュラシック・ワールド」。

「旧パークの恐竜は本物の恐竜だったが…」という台詞があって唖然とさせられる。(★3)

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更新され続けるジャンル映画

日夜メディアで報道される世の中のあれやこれやに対しては「お前らはまだそんなことをやっているのか」(「未来少年コナン」のオジイより引用)などと思うことの多い意識の高すぎるわたくしではありますが、その逆っぽいことがあったので書きとめておきたいのです。

先日、DVDで「ズーランダー」と「ジム・キャリーはMr.ダマー」を久しぶりに観た。「ズーランダー」は公開時に劇場で、「Mr.ダマー」はソフト化された時にVHSで観ており、どちらもたいへん面白く、大いに笑った記憶がある。だからまあ安心してもう一度観てみようと思ったわけなんだけど、これがですね、思いのほかなんちゅうか、あんまり面白くなかったのですね。ギャグの手数が少なく、笑えない時間が意外なほど長かった。

一方で現代のアメリカ産コメディ映画、多くはDVDスルーではあるけどオレはサムタイムときどき観ていて、これらは普通に面白く、笑えるものが多いと感じる。最近はジャド・アパトー一派の成功で、ボンクラ男の通過儀礼ものがジャンルを席巻している印象だ。

さて主観ばかりで話を進めてなんだか申し訳ないが、2001年の映画「ズーランダー」と1994年の映画「Mr.ダマー」が今観るとあんまり面白くなかったというのは、非常に健全で結構なことだと思ったのだ。それはコメディ映画というジャンルが先人の仕事にプラスする形で年々更新され、進歩し続けていることを意味するからだ。まー極端な話、今どきのヤングはエンタツアチャコ早慶戦では笑わないという話である。上記2本は今なお愛せる映画であるし、自分もやっぱり好きだ。また時間に劣化されない「古典」という存在もあるのだけどここでは考えず、あくまでもナマモノのコメディとしての話であります。

たとえば「ズーランダー」は「モデルはみんな頭空っぽのアホばかり」とするバカ映画に本物の一流モデルがカメオ出演しまくり、ファッション業界全体がこの悪ふざけに乗ってくれた感じが当時は実に面白かったわけだけど、この構図は2007年の傑作「俺たちフィギュアスケーター」によって受け継がれ、見事に「更新」された。なにしろフィギュアスケートの歴代名選手たちが「フィギュアスケートってなんか変じゃね? オカマっぽいし」というバカ映画にノリノリで出演しまくり、観客は思わず「お前らそれでいいのか!」と突っ込まざるをえない始末。「俺たちフィギュアスケーター」の製作には、ベン・スティラーの名前がある。彼は「ズーランダー」で発見したオモシロを、より洗練された完璧な形で実現させたわけだ。かくして「ズーランダー」は古びて過去の映画になったわけだが、わたくしコメディ映画には「今観て面白いか」とは別に「公開時にどれだけウケたか」「後の作品にどれだけ影響を与えたか」という価値基準もあると考えるので、これをもって「ズーランダー」の価値が下がったとは思わない。むしろ映画史的に重要な作品であることが証明されたと思っている。

斯様な進歩はホラー映画やアクション映画など、さまざまなジャンルで起きていることだ。たとえば日曜の朝にやってる東映特撮や東映プリキュアなんか毎年毎年毎週毎週似たようなことばかりやっているせいで、予算が上がったわけでもなかろうに映像の質がどんどん上がって四天王プロレスみたいなことになっておるではないか。

昨年は「Mr.ダマー」の20年ぶりの続編が作られ、今年は「ズーランダー」の14年ぶりの続編が公開されるそうだ。ファレリー兄弟ベン・スティラーも、果てしなき「更新」の歩みを止めていない。立派な人たちだなあと思うのです。

ズーランダー スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
ジム・キャリーはMr.ダマー [DVD]
俺たちフィギュアスケーター [DVD]

「スター・ウォーズ フォースの覚醒」と「クリード チャンプを継ぐ男」

すっかり年末でございます。今年は大晦日の朝まで仕事で、夜は友人宅でRIZIN観て年を越す予定。大晦日まで働くのはいやだけど、1年前の年越しに比べればこれでも御の字であります。なにしろ去年は仕事でタイ人の皆さんとタイ寺院で年を越し、そのまま働き詰めで2月を迎えたのだった。はてなダイアリ書いてる暇もなかったな。

わたくしの本音を言えば「フォースの覚醒」がどれほどいい映画であろうとしょせんは非ルーカス映画、むしろ世界でただひとりジョージ・ルーカスだけが作れる誰も望んでいない内容の新作クソ映画のSWとともに地獄に落ちてこそ本望、世を呪いルーカスを呪ってナンボですわという原理主義自爆テロ気分はあったのだ… これは嘘偽りなく本当にあった。

しかし、1978年のSW日本公開から長い時間が経ちました。すべてのSWを劇場で観てきたわたくしもすっかりおっさんだ。帝国の逆襲に胸を焦がした少年時代は遠くなり、記憶の彼方に滲んでいる。SWを買ったディズニーは特別に気に入らないコングロマリットなれど、それでも人々が笑顔でSWを楽しめる時代が来たのであればおっさん何も言うことあらしまへん、老兵は去るのみ、ええがなええがな、レイア・オーガナというのもこれまた正直な気持ちなのであります。「ピープルVSジョージ・ルーカス」のクローン大戦は終焉を迎え、我ら元老院議員たちは泥沼の「ピープルVS庵野秀明」でも死ぬまでやっとればええんです。

いやあ「フォースの覚醒」楽しかったですねえ。登場シーンからしてレイちゃんはナウシカですよね。あの何に使うんだかよく判らぬ棒、あれ要するに風使いの杖でっしゃろ。次作ではナギナタ状にライトセイバー化、そんでダークサイドに堕ちてレイちゃん大立ち回り、首チョンパ腕チョンパ、杖一本でトルメキア兵皆殺しや。そこに老ルークがブワーッと飛んできて「双方動くな」ですがな。「あの男、スカイウォーカーです」「知っとるわ!」言うてねえ。ま、こんなヨタを吐くのもSW特有の楽しみのひとつです。それからフィン君が以前に出てた「アタック・ザ・ブロック」は佳作なので、皆さん観るといいですよ。

クリード チャンプを継ぐ男」は、アメリカ映画を代表する人気シリーズの7作目という共通点こそあるものの、「フォースの覚醒」とは根本的に違う性質の映画だ。シルベスター・スタローンが「ロッキー」を他者に売ることは金輪際ない。スタローンは異常に面倒見のいい男で、今まで多くの若い監督や若い俳優、若くない消耗品どもにチャンスを与えてきた。彼自身がメシも食えない状況からチャンスを掴んでのし上がった人間だからなのだろうな。今回の映画は若手監督による企画・脚本・演出ではあるが、スタローン自身は世界トップクラスの脚本家であり監督でもあり、彼がOKを出した作品ならまず大丈夫だという信頼はあった。実際観てみたが思った通り。「ロッキー」らしくシンプルで、愚直で、骨太な、本物の映画だった。アポロの奥さん、ミセス・クリードには高度な演技が求められるので今回演者が変わっていたが、これは仕方なかったのだろうな。まー似てたからいいや。

クリード」は、我々が「ロッキー」を観ることで知ったもののまだ行ったことのないフィラデルフィアという街の魅力にあふれており、全編ほぼずっと楽しい映画だ。しかし、楽しいばかりではロッキー映画にならないのも周知の事実。かつてロッキーが自分がただのゴロツキではないことを証明したように、クライマックスには、主人公にしてアポロの子アドニスという人間の本質、彼の、彼だけの動機が露わになる場面がある。我々はその瞬間に立ち会い、感動する。斯様な胸打つ「真実の瞬間」がひとつ、たったひとつあるだけで、それは忘れ難き映画になるんだよな。それからアドニス君が以前に出てた「クロニクル」もなかなかの佳作なので、皆さん観るといいですよ。

絢爛お祭り映画たる「フォースの覚醒」の多幸感、「クリード」に灯る人生の小さな真実。いやー映画ってホントいいもんでして、とても充実した、いい年末でしたよ。それに比べてなんですか、RIZINですか? …I have a bad feeling about this.

11.12と11.15に見たプロレスの断面

ありがたくも不思議な縁があってお誘いを受け、仙女ことセンダイガールズプロレスリングの11.12後楽園ホール大会を観戦した。お目当ては旧姓・広田さくらの名人芸と、仙女vsスターダムの5対5勝ち抜き団体対抗戦である。

広田さくらの突き抜けた達人ぶり、里村明衣子の役割への過剰な入りこみの迫力は知っていた。突然変異の天才広田と長与の遺伝子を色濃く受け継ぐ里村は、ともに銭のとれるプロレスラーであります。まーそんなことはすっかり女子プロレスに疎くなってしまったオレなんぞよりも、詳しく語れる人がいくらでもおられることだろう。

この興行最大の衝撃は、仙女の新人・橋本千紘だった。勝ち抜き戦の先鋒として登場し、圧倒的強さでスターダムを3人抜きして紫雷イオに敗れた。橋本は日本大学レスリング部出身で、先月仙台でデビューしたばかりのド新人だ。しかし、疑いようもなくすでに本物である。

彼女の一挙手一投足に、どよめきがホールを揺らした。自分の強さを持て余し、どこか戸惑っているかのようなその佇まいに、目の肥えた後楽園の観客が一発で心を掴まれてしまった。スレきったプオタ相手に何がウケるかばかりを考えざるをえず、すっかり脳化社会と化した現代の女子プロレスの世界に彼女はただシンプルで骨太な「強さ」だけを握りしめ、ノープランでリングに立っていた。その純粋さたるや、汚れちまったわたくしなんて目がつぶれるんじゃないかと思うほどの眩しさだ。文明社会に迷いこんだキング・コングの如き極上の天然素材である。またスターダムの何でも器用にこなせるおキレイな女の子たちが相手だけに、橋本千紘の「本物」感は実に際立っていたんだよなあ。格闘芸術を愛してやまぬプオタ諸兄よ、彼女を覚えておいていただきたい。

さて彗星の如く現れた橋本千紘の興奮冷めやらぬうちに、11.15両国国技館天龍源一郎引退興行が行われた。当日は仕事で観られず、翌日ネットの新日本プロレスワールドで観た。

webでは多くの諸兄が天龍引退試合の感動と興奮を綴っておられ、もはやオレが付け足すことなど何もない。歩くのもキツそうで要介護認定されちゃいそうな状態の天龍を相手に、現役ビンビンのオカダ・カズチカは試合を成立させてみせた。あの天龍が、こんな状態になってなお懸命にチョップを放つ姿には泣かされるよなあ(同興行では藤原喜明にも泣かされた)。しかし腕の1本も動けば、できるプロレスはある。障害者プロレスドッグレッグス」を持ち出すまでもなく、オレの脳裏には現役最古参レスラー(当時)ミスター珍の記憶が色濃く残っている。珍さんがそうだったように、天龍もできることをすべてやって敗れ、若者のコヤシになった。オレは天龍を好きだったこともあったし、嫌いだったこともあったよ。両国に来てくれたテリーとハンセンとともに、天龍はテキサスの化石になった。黒はプライド、黄色は劣等感。さようなら、天龍源一郎

同興行のセミファイナルでは藤田と諏訪魔がファンの不興を買い、大日本の関本大介岡林裕二が株を上げた。プロレスラー藤田は全然買わないが諏訪魔は大好きなオレは、なんとも煮えきらぬ複雑な心境になった。確かに諏訪魔は、まーいろいろうまくねえよな。判ってるんだ、判ってて好きなんだけどな。

プロレスラーとしては何ひとつ褒められない藤田はともかく(健介に胴締めスリーパーして3カウントとられた両国が代表作)、諏訪魔の燻りっぷりにはため息しか出ない。2012年にオカダ中邑組と当たったタッグ(あれも両国だ)からもう3年。今やオカダは設定に中身がだいぶ追いついてきて、天龍の最後の相手に選ばれ、キャリア上極めて重要なこの試合を作り、倒した天龍への礼ひとつで多くを語らずにすませられるレスラーになった。対して諏訪魔は、何も成長していないように見える。今回も机を持ちだしていたが、諏訪魔は「暴走」して大暴れすれば客が喜ぶと思っている節があり、しかも暴走の中身ときたら机やイス攻撃なのである。このステージの低さ、もう可愛げとは言ってられないキャリアの筈なのだ。オカダとは比べものにならぬ金無垢の素材なのに、頭と環境の違いでこれほどの差がついてしまう。人間くらべは、時に残酷だ。

こういう時にどんなことを考えればいいか、オレは知っている。かつてミルコ・クロコップに蹴っ飛ばされて失神したドスカラスJrことアルベルト・デル・リオは先月華々しくWWEに電撃復帰し、ジョン・シナさんを撃破して大復活を遂げた。一方、ミルコは薬物騒動とともにドサクサ引退。デル・リオさん完全勝利! 敗北を知りたい! 人生は長いのさ。