「フランケンシュタイン対地底怪獣」をナメた記述にベリーベリーオコッタ

わたくしは「フランケンシュタイン対地底怪獣」という映画を人からはちょっとどうかと思われるほど好きで好きで、過去にこのブログでも感想を書いたものだ。皆さんも観るといいと思います。

pencroft.hatenablog.com

そして今日、たまたまTwitterでこういうツイートを拝見しまして。

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しつこいですがまたまた「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

黒波はビンタしないやさしい子

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されておよそ3週間が経った。映画は大ヒットしており実にめでたい。Twitter、感想ブログ、Cinemascapeなど、我ながら狭い観測範囲ではあるものの世間の反応を見るに概ね好評、絶賛も少なくない。気持ちよくスッキリと成仏、昇天なさった方々も多いようだ。シンエバよかったよね。よかったよな。エバンゲリオンありがとう。おめでとう(拍手)。もちろん大ヒット公開中のドサクサの最中であり、世間の反応の本当のところ、絶賛と酷評のリアルな比率はまったく判らない。ただ、わたくしの目に見える範囲では多くが絶賛。酷評はごく少数だ。

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『八甲田山』で死にゆく我々日本人

日本映画専門チャンネルで「八甲田山」。確か20年くらい前に、VHSで観たのが初見と思う。画質は悪く、顔の判別も難しかった。今回のは4Kデジタルリマスター版なので、凄まじくクレイジーな極寒のロケ撮影を堪能した。加山雄三とかいい役で出てたんだな、以前は気づかなかった。

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映画史に残るクレイジーロケ

兵隊がバタバタ死んでゆく映画の何が面白いのかと初見時に思った。2021年に再び観て思う、これは「日本人」をド真ん中で捉えた映画だったのだ。やはり何が面白いのかとは思うけど。 (★3)

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「シン・エヴァンゲリオン劇場版」にモヤモヤ

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」、観てきました。エバー終わるんですって。イヤですね。めんどくさいですね。憂鬱ですね。観たくないですね。しかしまあしょうがないので観てきました。

DVヒモ野郎が更生したからって褒めちぎるのかという問題 (★3)

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プロレス必修科目としての新間寿とジャパンライフ

1980年代前半、空前絶後の人気を誇った頃の新日本プロレスを知る者にとって、いま現在、新間寿という名前はどう響くのだろうか。

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「ニッポン国VS泉南石綿村」が気の毒で気の毒で

最近やたらドキュメンタリーばかり観てますが、原一男監督の「ニッポン国VS泉南石綿村」をDVDで。尺は215分(3時間35分)。

ニッポン国VS泉南石綿村

ニッポン国VS泉南石綿村

  • 大阪府泉南市の人々
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「大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」を主軸に、原告の皆さんを8年間にわたって取材したドキュメンタリー。アスベスト(石綿)は怖いけど、アスベストが怖いという映画ではありません。以下の感想はネタバレありのうえ、そもそも映画を観てないとよく判らないでしょうねえ。でも3時間半あるんだよねえ… まあ観ないよねえ…

犠牲者の嘆きはなにしろ報われない (★3)

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ドキュメンタリー映画 「はりぼて」

地方政治に巣食う屑の皆さん

はりぼて

はりぼて

  • 山根基世
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地元のミニシアターで、富山市議会の腐敗をチューリップテレビの報道チームが暴くドキュメンタリー映画「はりぼて」を観た。はぁーりぼぉてぇ はりぼぉーてぇ(森本レオの声で)。判るな?

「王立宇宙軍」より

全員クソ野郎 (★4)

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映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」を、なぜオレは気に入ったのか

大島新監督。大島渚のチンコからやってきた

おおテリブル。テリブル香川! こ… これが… これが香川か…… これが香川…… (車田正美「リングにかけろ」より抜粋改変) (★4)

車田正美 「リングにかけろ」 より
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「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

劇場で「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。ちなみに前日に「TENET」も観たんですけどね、なんだか忙しい映画で好きじゃなかったな。ヴァイオレットちゃんも好きじゃないんだけど、去年の放火殺人事件に関連して応援の気持ちでムビチケ買ってたので観てきました。

何も終わっちゃいねえ 何も

ヴァイオレットちゃん・エバー本編 (★3)

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現実に挑む理想 「パブリック 図書館の奇跡」

映画の日だったので高松の小屋で「パブリック 図書館の奇跡」。ちなみに高松での公開日は、東京のそれから2ヶ月ちょい遅れ。ハイきた時間差! 感想は少しだけネタバレあるよ。

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The Public

公共図書館は民主主義最後の砦」、立派なセリフだ。たとえ現実がこうでないとしても、エミリオ・エステベスの心に輝く理想に胸を打たれる。 (★4)


日本にもゴロゴロあって我々もよく知る「図書館」を描いているため、アメリカと日本の社会の異質さに気づかされる。日本も民主主義ということになってて一応そういう制度になってるんだが、最近思うにこれはどうも、全然うまくいってない。それって日本人の、民主主義や自由、基本的人権などへの理解が全然なっちゃいねえからではないか、オレも含めてだけど、などと思う。


この国は基本的にムラですわな。他の村人に迷惑かけるやつは村八分、追放、殺害。プライバシーの概念なし。権利ナニそれ。オレには時々、この国が蟻や蜂などの昆虫が構成している社会のように見えることがある。それはそれで、精緻なものではある。そこでは全体に奉仕できない弱者は迅速に切り捨てられる。公園のホームレス排除ベンチなんか、絶対に30世紀の公民の教科書に載る。21世紀はこんなひどい社会だったと、未来人に軽蔑される。


そもそも戦後の憲法で言ってる「人権」ってのは、全然そんなんじゃない。オメーラ全体が弱者の人権を守って助けるんだよ切り捨てちゃあダメよと、だいたいこんな感じだ。しかし戦後何十年経っても、日本人は民主主義を理解できず、身につけることができてないように見える。最近は世の中のニュースを聞いても暗い気持ちになるばかり。夜明けは遠すぎる。


アメリカにはアメリカの現実があって大変なのだBLMなのだ永久闘争なのだとは、我々が聞く通りなのだろう。でも『スミス都へ行く』とか観るとやっぱり、アメリカの民主主義、その理想には筋金が入ってて羨ましいのう、などと思うじゃないですか。この映画もそういう映画だ。


日中、臭すぎるホームレスを追い出した件でエミリオ・エステベスは告訴される。これは他の利用者の権利とぶつかったために対処せざるを得なかった苦渋のケースだ。ならば利用者のいない夜間、凍えるホームレスが死にたくねえと図書館に居座ったとしたら、誰のどんな権利が侵害されるというのか。誰かの人権を侵害しているのは、この社会のいったい何なのか。こういう問いかけを心に残す脚本のアイデアが、本当に素晴らしい。


また、こういう映画は一夜が明けて朝が来て終わるんだろうなと思ってたら、苦みを含んだ落着を描きつつもなんと「夜が明けない」ことには驚き、感心した。鮮やかなハッピーエンドなどなく、夜明けははるか遠い。「夜が明けない」のが、この映画の表現なのだ。それだけに、シンシナティの「寒さ」を画で表現できていないのは残念だった。雪を降らせてほしかった。よほど金がなかったんだろうな。

東京のあなたがとっくに観て忘れた映画を田舎のオレは今も待っている

きのうは安倍首相が辞意表明ということで世間は大騒ぎ。しかし安倍首相が辞めたところで政府与党は山盛りのクソであって、この国の何かが好転する気も全然しないし、この国に積み上がった問題がいくらか解決するとも全然思えない。首相個人に対しては、まーたお前が好きに決めたタイミングなんだな、でもいつか天誅がくだされブタ箱にブチ込まれる時はお前のタイミングじゃねえぞ、ぐらいしか思うことはない。病気だったのに長い間お疲れ様、感動をありがとう的なことを言う人もいる。きっといい人なんだろうな。でもオレは、そんないい人たちの行き着く先には「パラサイト 半地下の家族」に出てきた「リスペクトおじさん」の姿があると思っている。しかしオレ自身はまったくもって「いい人」ではなく、ろくでもない人間だ。だから安倍首相が死のうが生きようが、クソどうでもいいというのが本心である。あと今さらだけど、あの人ドルーピーに似てるよな。

なのでまったく関係ない話を書く。あ、「ベルばら」は40話全部観ました、死ぬほど面白かった。でもそれじゃなくて、「映画の公開にはなぜ、いまだに東京と地方の時間差があるのか」というお話。なぜと言っても答えは判らない、推測ばかりを思うままに徒然に。恨み節みたいなタイトルでごめんなさい。

1972年生まれのオレは18歳まで文化果つる地、香川県高松市に住んでいた。2本立てが普通だったその頃、メジャーな映画は東京と同時公開だったが、ミニシアター系(要するにマイナーな映画)は東京から半年ぐらい遅れての公開(あるいは公開されない)だった。当時はこの時間差をあんまり不満にも不審にも思わず、そういうもんかなと思っていた。田舎しか知らぬボンクラ少年に東京は遠かった。とにかくオレはそのようにして、周回遅れの街・高松でそれでもなんとか遅れて公開されたいい映画、「八月の鯨」や「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」や「ストレンジャー・ザン・パラダイス」なんかを地元のミニシアターで観ていた。それらはいずれも半年ぐらい前にキネ旬などの映画誌ですでに批評が書かれて評価も終わった、何なら淀川さんの年間ベストテンで見かけた後の映画たちだった。

さて1991年に東京(一時期は神奈川)に移住してからはどんな最新映画やマイナー映画も観放題なので、ストレス知らずの浮かれた30年間を過ごした。淀川さんは亡くなられた。まあ仕事が忙しすぎて観たくても劇場で観られなかった「トロールハンター」のような映画も多かったのだがそれは自分の問題で、トロールハンターのブルーレイも後で買えたし、別に文句はなかった。そして昨年、30年ぶりに出身地の高松に戻ってみて驚いた。なんと、いまだに地方ではマイナー映画は大都市からおよそ半年ぐらい遅れての公開(あるいは公開されない)なのである。これにはかなり苛立ったし、今も苛立っている。

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こんなのばかり

まず間違いなく今年のベストワンであろう「淪落の人」を松山で観たのは6月だったので、東京での公開から4ヶ月遅れ。昨年ベストの「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」は徳島で1ヶ月遅れ、「ブラインドスポッティング」は岡山で3ヶ月遅れで観た。文化果つる香川県は映画公開時期において近隣県にさえ後れをとっているため、観たい映画を観るのも大変なのだ。あとゲームも1日1時間なんだとさ、バーカバーカ死ね殺す。

いや、昔は仕方なかったと思うのだ。なぜなら昔はフィルム上映だったからだ。映画1本分ものプリント代はべらぼうに高かったはずで、数少ないフィルムが大都市から地方へ、長期間にわたり全国を「巡回」せざるをえなかったのは理解できるのだ。東洋現像所改めイマジカは、いい金とるもんな。しかしきょうび、田舎の小屋でもたいがいデジタル上映ですよ。デジタルは複製にコストも時間もかからないのが利点なんじゃないのか。今の劇場用データは外付けHDDに収めて劇場に物理的に配送されると聞いたが、そんなHDD、100個でも200個でも作って全国同時公開したらええやん。イヤもはやHDDさえ不要で、ファイル分割とかすればギガファイル便でもタダで送れてどこでもDLできるやんけ。

デジタル化という技術的革新を経てもなお、地方映画興行の時間差は改善されてない。映画のデジタル化を推進したジョージ・ルーカス先生もモジャヒゲの向こうで泣くぜ。これはいったいなぜなのか。

デジタルになってもなお、我々の知らない何かしらのくだらない技術的制約があってHDDの数を作れない、ということもありうるのかもしれない。それはよく判らない。しかしオレがたぶんこうだからではないかと推測する理由は別にある。以下にそれを書くが、見当が外れてることも大いにありそうだ。なんせ映画を観るのは好きでも、映画興行については何ひとつ知らないド素人の考えることなので。

地方のミニシアター系映画館の館主になったつもりで考えてみる。ひとつの推測、むしろ邪推かもしれぬが、「大都市で上映が終わったマイナー映画のHDDを中古払い下げの感じで借りる」のは、「新作マイナー映画を東京公開と同じタイミングで借りる」よりもかなり安くつく… お得である… なーんてことが、あるのではないだろうか、と思うのだ。上映済みの出がらしデータでも、デジタルならば画質の劣化はないのだ。つまりロードショー(新作封切り)をハナからあきらめた、昔の田舎の二番館・三番館のおんぼろフィルムシステムが、デジタルになった21世紀にも脈々と生き続けているのではないだろうか。

また、地元でのマイナー作品の上映をするしない、するなら大箱か小箱か、上映期間の長短などを、まず東京など大都市での興行の具合を時間差カンニングしてから決めることができるならば、それは興行主たる劇場館主にとって大きなメリットであろうと思う。大都市で客が入った映画はかければいい。コケた映画は買わなきゃいい。つまり地方のミニシアターにとって、マイナー作品の上映は大都市より遅いほうがいい。何なら大都市でひと通り終わってからのほうがいい。カンニングが終わるまで、地方の観客なんかなんぼでも待たせておけばいい。どうせどこにも行きゃしない。

東京にいる間、オレは「地方ではマイナー映画の公開が恒常的に遅れてる」ことなんか気にもとめてなかったし、そもそもろくに知りもしなかった。さらに前の未成年時代は若さゆえのあやまち、田舎の世界しか知らずに「こんなもんだろう」なんて思っていた。しかしキモくて金のないおっさんにクラスチェンジして田舎に逆噴射家族した今、中央と地方の格差ってものを実に様々なところで、映画を観に行く時にさえ歴然と感じている。田舎であっても、テレビは遅れない。radikoでどこのラジオでも聴ける。新聞も遅れない。でも大スポは半日遅れで朝刊になってる。そしてマイナー映画は、何ヶ月も遅れるんだ。四国には海と山と川しかない。IMAXもない。いや、松山に1館あったか。1館だよ1館。

映画館トップ・上映スケジュール | シネマサンシャイン衣山

一方で東京の人口過密に比べれば高松などという、マーケット以前に人類がまばらにしか存在せぬ荒野で曲がりなりにも映画館がどうにか営業してるのはとても立派なことであり、誇っていい文化事業とさえ思えるのだ。客に困らぬ東京ならばマニアックな映画館でもなんとかやっていけるだろうが、田舎では死ぬ。そう考えたとき、徳島のアニメ(だいたい)専門映画館 ufotable CINEMA が頑張っているのは素晴らしい。今は違うが、開館当時は徳島県唯一の常設映画館だったのだ。近藤社長の脱税ぐらい大目に見ろやという寛大な気分にもなる。そして脱税してなくったって、地方の映画館ましてやマイナーな小屋の経営が、コロナ以前からずーっと苦しいのは知っている。興行リスクを避けたいのも理解できる。映画が遅れるのも仕方がない。と、結局は日本が貧乏だからしゃーない、みたいな湿った話になってしまうなあ。やっぱりせ、せ、政治が悪いんだよおおおお(山田洋次「息子」より田中邦衛)。

追記

「田舎であっても、テレビは遅れない」と書いたがテレビは遅れる。特に民放地上波バラエティ、番組によって半年遅れも珍しくない。

ufotableCINEMA

トロール・ハンター [Blu-ray]

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ベルばらに思う

アニメ「ベルサイユのばら」全40話をCSで録画して、先日から少しずつ観ている。かなり昔だが原作は読んでおり、メチャクチャ面白いことは知っている。アニメは断片的に観たことがあった。通して観るのははじめてだ。ざっくり言って前半13話までが長浜忠夫監督、後半19話からが出崎統監督。レジェンド監督2人の演出の素晴らしさについては、評論家・氷川竜介氏の記事がわかりやすい。

animeanime.jp
animeanime.jp

アニメ「ベルばら」は、ただでさえ面白い原作をガンガンに膨らませ、無闇に盛り上げ、夥しい情緒を山盛りに盛る、実にクドいアニメだ。面白いにもほどがあるのである。

第13話「アラスの風よ応えて…」には、大いに感銘を受けた。王妃マリー・アントワネットの贅沢を間近で見続けてきたオスカルは、領地の農民の凄まじい貧困をはじめて知って愕然とする。若きロベスピエール(黒髪じゃない方)はオスカルに向かって新しい君主には失望したと言い放ち、宮廷と国民の圧倒的格差を糾弾する。しかし革命以前のフランスに、民主主義はまだない。民衆が望んでいたのは、せめて王政が国民に不当に高い税を課さず、まともに暮らせるような統治をすることだ。しかし王様のルイ16世は錠前マニアのボンクラで、王妃マリー・アントワネットは世間知らずの金食い虫。バカ高い税金は貴族や王族の贅沢に消えてゆく。貧困に苦しむ農夫スガンはオスカルに言う。

「私には判らない。こんなに一生懸命働いてどうして… どうして塩とジャガイモしか食えないのか…」

これって今現在の2020年、働けど働けど貧乏な大多数の日本人の台詞そのものではないか。今これ読んでるお前さんは、自分は貧乏じゃないと思ってるかもしれない。ド貧乏なんだよ! 雇われでも今の2倍や3倍、給料もらったっていいんだ。そのうえ消費税をはじめ様々な方法で少しずつ、しかし積もり積もって山のように金を抜かれているんだ。せ、せ、せ、政治が悪いんだよおお(山田洋次「息子」より田中邦衛)。わしらも自民党ブチ殺して革命すべきなんや。我々はあしたのジョーである!

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ショックを受けるオスカル

面白いのはオスカルが受ける絶大なショックと、出口の見えぬ苦悩だ。後世の我々にしてみれば、この問題の答えは君主制から民主主義への体制大転換、市民革命しかない。しかしそんなの、我々が時間というカンニングペーパーを使っているから言えるだけにすぎない。王政の中で生まれ育ったオスカルの脳内に、民主主義らしき発想はまったくない。いっさいない。オスカルが個人的に知る王と王妃は、決して悪い人間ではないのだ。オスカルはどうしていいのか判らず、無力感にさいなまれる。オスカルには来るべき社会の姿が見えないのだ、知らないから! 知らないものは見えないのだ。知らないものは目指せないのだ。知とは、まったく人類が積み上げてきた偉大な宝だ。それでも時代が課す思考の限界の中で、今を精一杯生きるオスカルたちはやはり美しい。ばらは ばらは うつくしく ちる~ オスカル… オスカール!アンドレ役・志垣太郎の絶叫)

ここで思い出したのは創元推理文庫の「ポオ小説全集」2巻、シャルル・ボオドレエルが書いた解説文「エドガー・ポオ その生涯と作品」の一節であった。

以下引用。

君主が何百万人といて、厳密にいって首都もなく、貴族もいないような国で、造作なく物を考えたり書いたりすることは、難しいに違いない…

エドガー・ポオと彼の祖国とは、同一水準上にはなかったとは確実な事だと、私は繰り返していう。……名門の裔冑(えいちゅう)であったポオ、しかも自国の大きな不幸は、伝来の貴族をもっていなかったという事である。何故なら貴族をもたぬ国民の間では、「美」の礼拝は、遂に腐敗し、堕落し、消滅するより他はないからだ…

これはやたら入り組んだ悪趣味な文章で、引用部分も文中で誰かに言わせている体をとっているが、ボオドレエルのこれが本音であろうことは疑わない。ポオを礼賛する一方で、行ったこともないアメリカと民主主義を闇雲にディスってる。おい、こいつバカだろ。オレは詩が嫌いだからボオドレエルなんて読んだことないけど、お前よーボオドレエル先生がナンボのもんか知らんけどよー、調子こくのも大概にせえよ。だいたいこいつがダンディズムとか言い出したせいで前田日明が変な影響受けてこじらせて、こっちはいい迷惑なんですよ。美は貴族の専売特許ときたよ。なんや、貴族は神で大衆は豚か。フランス革命後のフランス人なのにこの貴族礼賛、驚いたねどうも。こうなると翻訳も気に入らない。「麻呂は、麻呂は繰り返しておじゃるのじゃ」とか公家の口調で丁度いいくらいだ。

でも仕方ない、ぼかー許すよボオドレエル君。ろくな教育受けてこなかったんだよな、時代の限界ってあるよな。アクセスできる情報量も、現代と比べたらないに等しいもんな。民主主義がよく判らなくて、怖くなってついディスっちゃったんだな。許す許す、許します。しかし本当に、知とは偉大だ。オスカルも、たぶんボオドレエルだってバカじゃない。でもよく知らないものは思いつかないし、あっても見えない、判らないんだ。それってよくよく考えると、怖いことだよな。イソジンでコロナに勝つとか、知性ある誠実な人間なら言わないもんな。クソ野郎だったりバカだったりの権力者がウジャウジャのさばっているこの国が、王政時代のフランスをあんまり馬鹿にもできない気がするのだ。この国にはロベスピエールが足りない。そしてろくに知らん詩人をディスってるわたくしも無知無学の檻の中にいるのだということを、肝に銘じるべきだろうな。ボオドレエル先生ごめんなさい。